私の研究史 ー高橋正樹ー
1.プロローグ
プロローグ 1 革命動乱の時代
高校卒業の年は、大学紛争で東京大学の入試が中止になった1969年である。東京大学理科II類に入学したのはその翌年の1970年であった。大学紛争によって、大学の権威のようなものはすべて失われていた。入学式はなく、学生自治会主催の新入生歓迎行事が行われただけだった。もちろん、その後本郷では卒業式もなかった。それまで卒業式が執り行われていた安田講堂は、学生と機動隊との東大紛争攻防戦によって荒れ果てており、ベニヤ板が打ち付けられていて、まるで東大の墓場のようであった。当時の教養学部の駒場キャンパスは、いわば学生たちによって支配されており、教員や事務当局の影ははなはだ薄かった。荒廃したキャンパスには、しかしながら不思議な明るさが満ちており、焼け野原のようなキャンパスは、なぜか真の学問への希望に満ちていたように思う。昼休みには、至る所で学生集会が行われており、学生によるクラス討論会は連日のように開催されていた。権威による教育は失われていたが、学生はみんな生き生きとして元気だった。
本郷への進学は、理学部の地質鉱物学科を選んだ。地球科学関係では地球物理学科が人気であったが、博物学とフィールドワークに関心があった私は、当時すでに古色蒼然としていた地質鉱物学科を選択することにした(ちなみに、現在ではこの学科は存在しない)。1970年代初頭の地球科学は、プレートテクトニクスの登場によって「革命」の時代を迎えていた。学部の講義では「プレートテクトニクスは間違っている」といっていたK先生が、翌々年の大学院の講義では「プレートテクトニクスを受け入れる」と宣言していたことが、大変に印象的であった。まさに、革命の時代のただ中に私たちは置かれていた。
プロローグ2 私の師事した先生方
東京大学理学部の地質鉱物学科に進学したのは1972年である.4年次の卒業研究のための講座配属では第1講座(岩石学)を選択した.ちなみに、日本大学文理学部応用地学科で初代岩石学研究室を担当された堀 福太郎先生はこの第1講座の出身であり、私の先輩に当たる。当時の第1講座は高名な久野 久先生が亡くなってまもなく,教授は在籍しておらず,助教授として藤井 隆先生(後に筑波大学教授)と在米中で帰国していなかった久城育夫先生が,助手としては池田幸雄先生(後に茨城大学学長)がおられた.また兼坦として地震研の助教授の荒牧重雄先生もおられた.荒牧先生は東京大学退官後、北海道大学および日本大学文理学部地球システム科学科火山・岩石学研究室の教授を務められた。
久城先生は当時実験岩石学の第1線で活躍する世界的な研究者で,まもなく帰国し教授に着任され,化学熱力学を駆使する授業でわれわれを驚かした藤井先生は第3講座(鉱床学)に移られた.藤井先生の岩石学の試験問題は、ただ1行「岩石学における熱力学適用の限界について述べよ」というもので、かなり驚かされた。これが大学の試験というものかとひどく感心もした。当時,岩石学講座の研究の主流は,久野先生以来の火山岩岩石学・マグマ成因論であった.渡米された都城秋穂先生以来の変成岩岩石学は,坂野昇平先生が金沢大学に移動されて,先端研究の中心はそちらに移っていた.
私が卒論の研究テーマを決めるにあたっては,こうした輝かしい伝統のある分野は敢えて避けて,これまで岩石学講座ではほとんど研究のされてこなかった花崗岩を選ぶことにした.よくも悪くも私の特徴である、「へそ曲がりの精神」が頭をもたげたのだ.当時は,花崗岩が火成岩か変成岩かという国際的な花崗岩論争が下火になってからまだ10年余りの時間しかたっておらず,花崗岩はわけのわからないものと考える人は多かった.
研究の伝統がないと述べたが,実は当時助手であった池田幸雄先生は花崗岩の研究を行っていた.花崗岩マグマの生成に関わる「池田モデル」は,実に独創的で魅力的なものであった.材料工学に帯溶融という手法がある.不純物のある金属棒を端から溶融し,溶融したゾーンを動かしていくと,不純物は最後に残った溶融部に濃集し,金属棒から不純物を取り除くことが出来る.地殻内をマグマ溜りが天井部を融かしながら上昇すると,こうした帯溶融と同様の効果が得られ,最終的には天井直下に低融点成分が濃集し,これが花崗岩マグマに相当するというものである.この場合,溶融は全溶融ではなく,部分溶融を考える.天井部を部分的に破壊し融かしながら上昇するpiecemeal stopingという貫入メカニズムである.このモデルは,同化分別結晶作用とpiecemeal stopingによって,マグマ組成の変化による花崗岩マグマの生成,マグマの上昇・貫入メカニズム,マグマの占める空間問題のすべてを同時に説明可能な魅力的なものであった.
このモデルを科学的に実証するためには,天井部がよく保存された花崗岩体の天井部を研究する必要がある.そこで私は,天井部のよく保存された花崗岩体の研究から始めることにした.いろいろと調べ回った結果,中部九州の中新世の大崩山花崗岩が好条件を備えていることがわかった.この大崩山花崗岩体は水平な天井部がよく保存されており,天井部の境界直下には,しばしばペグマタイトが発達している.このペグマタイトには電気石が豊富に含まれており,戦時中に帝国海軍がホウ素を採るためにこのペグマタイトに注目し,そのため当時金沢大学におられた山崎正夫先生が,学生の時に卒業研究として調査されていた.山崎先生の手書きの卒論が学科の図書室に残されていた。当時は写真が貴重で残されていなかったが、素晴らしいスケッチに見惚れてしまった。
山歩きが好きで、当時すでに3000m峰の多くを踏破しており、研究でも是非山岳野外地質学をやりたいと思っていた私には、岩峰そびえる険しい山岳地帯のフィールドであった大崩山は、大変魅力的な対象に思えた。しかし、大学院を含めてそれから6年間以上、祖母山、傾山を含めた 5万分の1地形図6枚以上におよぶ険しくて広大な山岳地域の調査に山ごもりしてのめり込むなど、当初は考えてもいなかったのだが。
初めてフィールドに向かった1973年3年生の3月、当時新幹線はまだ九州には到達しておらず、大阪まで新幹線で行き、大阪港から関西汽船の瀬戸内海夜行便に乗船し、翌日午前中に別府に着いた。別府から日豊本線で延岡に着いたときには午後おそく、駅前から宮崎交通の上祝子行きの最終バスに乗り換えて、人家のない祝子川の谷をひたすら遡って行った。終点の上祝子に着いた時には、日はとっぷりと暮れていた。東京から現地まで、実にまる2日がかりの行程だった。宿はバス終点の伊藤商店というよろずやの2階だった。翌朝、宿の前の広場から見ると、目の前に大崩山がそびえ立っていた。山頂までの標高差は1300mあり、それからは、連日1000m以上の標高差を登り、帰りには10kg以上の岩石試料を背負って降りてくる日々が始まった。
数日後、荒牧先生が野外調査指導のために自家用車でやってこられた。荒牧先生の指摘の中で特に重視せよとされたのは「花崗岩の岩相の高度変化」であった。また対岸の一枚岩の岩壁を双眼鏡で観察し、「水平の構造」が見えるがそれが何であるか調べよという指摘もあった。野外での指導というのはこの一日だけであったが、その指摘の的確さに後で舌を巻いた。岩相の高度変化は存在したし、水平の構造はアプライト・ペグマタイトのシートコンプレックスであった。しかも、荒牧先生の専門は火山地質学であって花崗岩ではなかったのだ!私は荒牧先生の弟子になることを決めた。荒牧先生の学風は徹底した実証主義で、断定的な言明やスペキュレーションは極力避けられた。「強く示唆される」といった慎重な言い回しを好まれた。悪く言う人の中には「石橋をたたいてたたき壊す」などと揶揄する者もいた。しかし、イギリス経験論哲学的なアプローチが好みだった私には、こうしたアングロサクソン的で確実な荒牧実証主義は大変好ましく思えた。
4年生の卒業研究の調査によって、大崩山花崗岩体が垂直方向の組成累帯構造を持つことが判明した。標高1000m付近を境にして、上部が黒雲母花崗岩、下部が角閃石黒雲母花崗閃緑岩から構成されていた。こうした明瞭な垂直方向の組成累帯構造の報告は、実はわが国でも初めてのことだった。この事実は、卒業前の4年生の3月に和歌山県新宮市で開かれた、当時進行していた地球ダイナミクス計画の「マグマ発生の時空分布」グループの研究集会で発表することになった。このグループは東北大の青木謙一郎先生や荒牧先生などが中心になって進められていた。この集会で初めて石原舜三先生にお会いした。集会では、石原先生は素足であぐらをかいており、ヤクザの親分のような雰囲気が印象的だった。
石原先生は、当時通産省工業技術院地質調査所の鉱床部で花崗岩に関連したモリブデン・タングステン鉱床の研究を進めており、その過程で花崗岩は帯磁率によって、高いものと低いものとに分けられることを明らかにしていた。しかも、その分布が日本列島の中で広域な帯状配列をしているという。高帯磁率の花崗岩には磁鉄鉱が含まれており、低帯磁率の花崗岩には磁鉄鉱が含まれていなかった。後に、高帯磁率花崗岩は磁鉄鉱系列、低帯磁率花崗岩はチタン鉄鉱系列と命名された。磁鉄鉱系列は高酸素分圧の酸化的な雰囲気のマグマから、チタン鉄鉱系列は低酸素分圧の還元的な雰囲気のマグマから結晶化した花崗岩であることがわかった。この分類は世界でも初めて報告されたものである。その後、私は当時新宿区河田町にあった地質調査所の分室に通って、石原先生と多くの議論をし、多くのことを学ばせて頂いた。石原先生の押しかけ弟子の一人となったのである。
もう一人の先生は、中村一明先生(東京大学地震研究所)である。当時の地質学、特に構造発達史は、右も左も権威主義的、観念的であり、地向斜造山論のような、よく考えるとほとんどわけのわからない主張に満ち満ちた、まるでヘーゲルのドイツ観念論哲学のような世界であった。中村先生は、「君、先生とはよばないでくれよ」とよく語っていたフランクな方で、その学説や論法も、デカルトのように明晰で、モーツアルトの楽曲ように軽妙で明るかった。露頭の前などでは、「ここでどのような物理的現象が生じたのかよく考えてみよう」といった教え方をされた。当時の弁証法的唯物論を標榜する左派の研究者には「地質学は歴史科学であって物理学ではない」などとわけのわからないことを主張する者も多く、そうした暗闇の世界で、明晰にして判明な中村先生の手法はひときわ輝いていた。
わたしたち地質鉱物学科の学生は、人数は10人足らずだったので、古色蒼然とした理学部2号館1階の学生控室にいた。そこでは学生実験も行われていた。学生控室のドアには「グローバルテクトニクス研究会」という看板を出していた。これは、学生たちでプレートテクトニクスの勉強会をやろうという試みで、プレートテクトニクスに冷ややかな当時の保守的な教員たちに対する抵抗でもあった。この看板を見た中村先生が、「面白い学生たちがいる」といって声を掛けて下さったのだ。これ以降、中村先生を中心に、学生を巻き込んだプレートテクトニクスの勉強会が進行していくことになった。1970年代のことである。私は当時から火山やマグマ活動とテクトニクスとの関係に興味があった。中村先生は「火山は広域応力場の指示者である」との説のもと、独創的な中村火山学を展開しつつあった。自分もそのような方向で火山を考えてみたいと思っていた。
最後は、諏訪兼位先生(名古屋大学理学部)と坂野昇平先生(金沢大学理学部、後に京都大学理学部)である。
諏訪先生は「日本の火成岩」(岩波書店)の出版の時に声をかけて下さり、諏訪先生の「花崗岩」の章の西南日本外帯中新世花崗岩の項目を分担執筆させて頂いた。その後、文部科学省海外学術調査「チベット高原」にも隊員の一人として招いて頂き、その時には現地で短歌の指導をして下さった。諏訪先生は古武士の風格のある,まことに広い教養を備えた学者であった。短歌は一流であったが,それ以外にスケッチなども芸術的な域に達していた。諏訪先生には、後に著書「科学を短歌によむ」(岩波書店、2007年)の中で、歌人の一人として紹介して頂いた。諏訪先生も東大地質学教室第1講座の御出身で、坪井誠太郎教授の弟子の一人であった。名古屋大学に地球科学科が設置された時に赴任されて、それ以来名大地球科学科の主のような方であった。ご専門は鉱物学では斜長石、岩石学では高温型変成岩と花崗岩であった。野外調査を好まれ、東アフリカの海外学術調査に長い間従事されておられた。私が助教授に昇格したその年に、名古屋大学理学部に集中講義の講師として招いて下さった。それが私の初めての集中講義であった。
坂野先生は頭脳明晰な優れた変成岩の研究者で、金沢大学理学部では学生・院生を育て多くの優秀な研究者を世に送り出し、「坂野スクール」と呼ばれて一世を風靡した。院生時代に金沢大学で坂野先生が行っていた熱力学を駆使した授業のプリントを見せてもらい、「東大の教育なんかより全然進んでいる」と思い、驚いたことを覚えている。坂野先生は花崗岩成因論にも関心をもっておられて、しばしばお手紙を頂き、いろいろと教えて頂いた。私が助教授になった翌年に、京都大学理学部に移られていた坂野先生に集中講義を依頼された。この集中講義には野外巡検がついていて、講義が終了した後すぐに神戸に移動し、学生をつれて瀬戸内航路のフェリーで九州の大崩山岩体に向かった。その時の学生には、現在静岡大学理学部の教授をされている川本竜彦さんがおられた。後に、「島弧・マグマ・テクトニクス」という本を東大出版会から出した時に、「都城さんがDalyのようだといって君の本を褒めていたぜ。でも、化学熱力学のところは厳密性を欠いていて、僕は気にくわない。」といった内容の小言を頂いた。都城秋穂先生のお褒めの言葉というのは,先生の書かれたエッセイの中でこの本を紹介したものであり,以下のような内容であった.
『最近,高橋正樹著「島弧・マグマ・テクトニクス」(東大出版会,2000)という本が出版されました.これはおもに,火成岩の野外地質学とテクトニクスの本ですが,必要な物理・化学的研究をも十分に取り入れて体系化した総合的な立派な本です.火成岩研究のデイリーの伝統を進めたものだと言ってよいでしょう.このような良い本が日本から出るようになったことは,今日では日本の地質学界も部分的には後進性を脱して,成熟してきたことを示しています.』
その後、都城先生からは、お手紙とともに蔵書の一部を贈って頂いた。その中にDalyの“Igneous Rocks and the Depths of the Earth”があった。
以上紹介した先生方は、その多くが故人となられてしまった。
「行く川の流れは絶えずして、またもとの水にあらず。流れに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しく留まりたるためしなし。世の中にある人と棲み処と、またかくのごとし」(方丈記)との思いを新たにしている。
歩み行けば 親しき人の 雲となりて 遙かに行きし 遠き空かな 孤舟道人
プロローグ3 地方国立大学新興学科の活躍
1970年代には、理学部のある地方国立大学に次々と地球科学科が創設されていった。その中で最後に出来たのが、茨城県水戸市にキャンパスのある茨城大学理学部地球科学科であった。大学院の博士課程を修了した私は、たまたま運良くこの新設の地球科学科の助手に採用された。1980年のことだった。
この学科には、すでに池田先生が助教授として赴任されていた。池田先生は「花崗岩のことは自分なりにわかったので、次は惑星起源論をやりたい」といって、花崗岩の研究から隕石の研究に対象を変えておられた。このあたりが、池田先生の凄いところである。池田先生の地球化学講座には、後に気鋭の宇宙化学者であった小沼直樹先生が筑波大から教授で赴任され、助手には同じく隕石の鉱物学を研究していた木村 真さんが北大から来られた。私のいた岩石鉱物学科は、助教授として変成岩の研究をやっておられた東北大出身の田切美智雄先生がおられたが、後に国立科学博物館から、同じく変成岩の研究者である橋本光男先生が教授として赴任された。また、火山岩が専門で東北地方の火山を研究していた藤縄明彦さんが東北大から助手として赴任された。地質学講座には専任講師の天野一男さんがいた。天野さんは東北大出身で、東北地方の新第三系、いわゆるグリーンタフ地域の専門家で、層序学、堆積学、構造地質学、テクトニクスの広い分野を得意とする大変優秀なfield geologistであった。プレートテクトニクスにも関心が高く、後に南部フォッサマグナの島弧衝突テクトニクスの解明で活躍することになる。
田畑に囲まれ、夜ともなればカエルの声や虫の声が喧しい当時の水戸キャンパスの地球科学科には、新設とはいえ愕然とするほど図書もまっとうな分析装置も何もなく、ただ建物があるばかりだった。戦国武将武田信玄の言葉ともいわれる「人は石垣、人は城」の精神で邁進する以外にはなかったが、教員の平均年齢は若く、みんなの意気だけは軒昂であった。
当時新設された地方国立大学の地球科学科には新進の若手研究者が数多く赴任しており、プレートテクトニクスの導入に奮闘していた。特筆すべきは、東北大からテキサス大を経て高知大学理学部に赴任した平 朝彦さんと、同じく東北大から静岡大学理学部に移られた新妻信明さんである。
1981年に王子製紙がスポンサーの王子セミナーとして「Accretion Tectonics in the circum-Pacific region」というタイトルの国際セミナーが苫小牧で開催された.Accretion Tectonicsは別名Terrain Tectonicsともいい、Nur,A.やBen Avraham,Z.らによって提唱されたもので、海洋プレート上にある微小大陸や海山、海山列、海台などが、プレート沈み込み帯で大陸側に付加して行くという説であり、当時世界的にもてはやされていた。彼ら国際的に第1線の研究者を招待し、そこに日本側の研究者を加えてシンポジウムをやろうという意欲的なもので、日本側のコンビーナーは国立科学博物館(後に茨城大学)の橋本光男先生と東京大学の上田誠也先生であった。まだ30歳になったばかりの私もこのセミナーに参加させて頂き、「Space-time distribution of late Mesozoic to early Cenozoic magmatism in East Asia and its tectonic implications」という、少々大風呂敷の話をさせて頂いた。
新妻さんや平さんもこのセミナーに参加していたが、この説には不満のようで、夜のおそくまで部屋で続いた飲み会で、特に新妻さんはしきりに大声で怪気炎を挙げて批判していたように覚えている。この騒ぎを聞きつけてかどうかは知らないが、外国からの参加者が「日本人研究者が怒っているらしい」と言ったとか言わなかったとか。とにかく、当時の若手は皆元気がよかった。まもなく、本当の沈み込み帯の付加体地質学が、世界に先駆けて日本から生まれ、世界を牽引して行くことになる。付加体地質学に先鞭をつけたのは、九州大学の勘米良亀齢先生のグループの九州四万十帯の研究であったが、本格的にこれを確立したのは、当時高知大学にいた平 朝彦さんたちのグループであった。平さんたちは、微化石層序学や堆積学、古地磁気学などを駆使して高知県の四万十層群の研究を行い、現在では常識となっている沈み込み帯の付加体地質学を作り上げた。 1980年代までの戦後の日本の固体地球科学は、地球内部開発計画(UMP)、地球ダイナミクス計画(GDP)、リソスフェア開発計画(DELP)といった国際的な固体地球科学プロジェクトの進行も相まって、世界の先端を走る多くの独創的研究を成し遂げていた。1990年代以降、特に2000年代以降の日本の地球科学は、世界をリードする独創的研究という意味では、バブル破綻以降の日本経済や日本の国力と同様、長い停滞と長期的な凋落の時代に入ってしまったかのようである。このことは、残念でならない。私事でいえば、1980年代の「日本の地質学革命の時代」に多くの優れた若手研究者と時間をともに出来たことは望外の幸せであった。
「日本の地質学革命の時代」を象徴する著作がある.平 朝彦著の「日本列島の誕生」(1990年)と丸山茂徳・磯崎行雄著の「地球と生命の歴史」(1998年)である.ともに岩波新書であるが,20年以上立った現在読んでみても,十分に新しさがあり,当時の息吹が伝わってくる.時代を超えて残るものが名著というものであろう。地球科学の研究もひとつの思想史であるとすれば,それを伝えるのは論文よりもこうした著作であろう.
プロローグ4 私立大学へ
1990年代前半、茨城大学理学部に大学院博士課程を設置しようとする動きがあった。この過程で、文科省からは新設の条件として、5学科の3学科への全面的な組み替えが要求された。もちろん選択の余地などはなく、文科省にいわれるままに3学科への改編が行われた。地球科学科の主要なメンバーは、生物学科や化学科の一部とともに、地球生命環境科学科に属することとなった。茨城大学理学部地球科学科は、国立大学理学部の中で最後に設置されたけれども、文科省によって最初に解体されてしまったことになる。新学科設置の最初の頃、私は学科長を仰せつかっていたが、異なる学科出身の人の意見をまとめるのはきわめて大変であった。
国立大学、特に地方大学は事務局大学などとも揶揄され、文科省の強い支配下にあった。何をするにしても、自分たちの思うような改革など不可能であった。国立大学は東大を頂点とする完全なヒエラルヒーの下にあり、茨城大学などは、最下位のグループではないにしても、下から2番目あたりのグループとしての扱いを受けていた(当時のことであって、現在もそうかどうかは不明である)。2番目のグループというのは、医学部はないが旧制高校の末裔ではあるという一群で、理学部や人文学部といった学部を擁していた。ちなみに、茨城大学理学部・人文学部は旧制水戸高校に由来している。
そういうわけで、文科省の支配下にある国立大学には、少々嫌気がさしていた。行けるものならば、文科省ヒエラルヒーに属していない私立大学に移りたいと密かに思っていた。
私立大学といえば東京農業大学に端山好和先生がおられた。端山先生は東大地質学教室の岩石学講座のご出身で、専門は変成岩で、花崗岩と関係のある高温型の領家変成岩の研究をされていた。東大岩石学出身の変成岩研究者といっても主流派ではなく、一人わが道を行くといった、いわば一匹狼的な存在であった。確信的な「民主派」であり、頑固な信念の人で、毅然として大変に個性の強い方であった。所属されていたのは一般教育課程で専門学科ではなく、したがって教員仲間も学生もいない、良好とはいえない研究環境の中で研究を進めておられた。端山先生は後には日本地質学会の会長も務められた。
端山先生と知り合ったのは、朝鮮半島の中生代花崗岩の巡検にご一緒させて頂いた時が最初である。その後、東京農大の端山研究室で行われていたゼミにも、しばしば天野さんと一緒に参加させて頂いた。ゼミの参加者には、当時筑波大への強制移転で潰されてしまった東京教育大の岩石学関係出身者などが含まれていた。ゼミ終了後、経堂の農大通りの居酒屋でよく開かれた懇親会で、端山先生は大学院時代に都城先生からいじめられ、円形脱毛症になってしまったが、それを「エピドート禿げ」などと言われたといって怒っておられたことを覚えている。
ともあれ、国立大学のような「よらば大樹の蔭」ではなく、中央集権の権力からは遙かに離れた決して恵まれているとはいえない私立大学という環境の中で、毅然と一本立ちしている端山先生の姿は、一種爽やかで共感出来るものがあった。
それやこれやで、2000年に日大文理学部地球システム科学科から話があったときには、二つ返事で引き受けさせて頂いた。私立大学へ来て驚いたことは、それが国立大学とは全く異なる組織だったことである。運営方法を始め多くの事柄で、同じ大学という名称はついてはいるものの、全くの別物だった。例えば委員会というものがあるが、多くはトップダウンで委員が決められており、多くの委員会が学科からのボトムアップで運営される(地方)国立大学とは大きく異なっていた。ボトムアップの委員会もあるが、委員長は委員の互選で決められるのではなく、委員会とは無関係にトップダウンで決まっているのである。これでは委員長は委員会に責任を持たないということになり、場合によっては出先機関としての委員長と学科選出の委員は対立関係になることを意味している。トップダウン方式は効率という点でよいところもあるが、効果を出すためにはトップが有能でないと話にならないというところもみそである。私立大学だからトップダウン方式は仕方がないといわれれば、確かにその通りなのではあるが。この点は最後まで疑問符がついた。
私立大学のもう一つの特徴、それは徹頭徹尾、まずは教育機関であるという点である。私立大学が学生さんたちの授業料で成り立っているということを考えれば、これは至極当然ともいえる。私立大学は要するに「私塾」なのである。基本的に税金で成り立っている国立大学とはそこが違う。私立大学は設立の理念が大切であるというのは、そういうことである。このことは納得が行く。しかしながら、赴任当初、教育負担の大きさには正直驚かされた。頼まれたことを引き受けていたら、教育コマ数が年間8コマを優に超えてしまったのだ。学生の数も多く、地方国立大学の地球科学科の2.5倍以上である。大学院以上の学生しかいない、しかもそれも少人数の某国立大学の某付置研究所の方から聞いたことであるが、教育負担は1コマのこともあるという。こちらは,研究のために自由に使える日は、休日(ちなみに国立大学と違って、土曜日も開講日である)を除けば週に研修日の1日しかないのである(高校教員並みではないか)。それでも、文理学部の理系実験系の先生で、世界的な業績を挙げられている方もおられるという。凄いことだと思って、心から敬意を表せざるを得ない。某国立大学の某付置研究所の方たちは、私たち私学の者たちの何倍もの研究業績を挙げて当然であると思った(しかし、実際はどうなのであろう。これも疑問符がつく)。
2. 研究史
1. 花崗岩研究の時代(1970年代~1980年代前半)
花崗岩研究は卒業研究における九州東部西南日本外帯の中新世大崩山花崗岩体の調査から始まる.研究の手法は野外地質学であり,“mente et maleo”(頭とハンマーで)あるいは「地質学の確実な方法は帰納科学の古い道である」をモットーに,ひたすら険しく広い山岳地帯の地質調査を行った.大崩山花崗岩体には天井部がよく保存されており,天井部から1000m余りの断面が露出している.花崗岩体には重力方向の岩相変化,アプライト・ペグマタイトの産状変化や苦鉄質包有岩の分布密度変化などが認められ,また,天井部の産状から,花崗岩マグマがストーピングあるいは地下コールドロンによって貫入定置したことなどが詳細に明らかにされた.大崩山花崗岩体は環状岩脈や大量の火山岩類を伴う広大な火山深成複合岩体であり,過去の巨大カルデラ複合体の地下構造を表す.大崩山火山深成複合岩体は世界的にみても例をみない保存のよいカルデラ複合体の地下構造を表す岩体であり,IGCP国際シンポジウムにおいて初めてその一部が公表され(Aramaki et al.1977),その成果は,USGSの火山地質学の権威であるLipmanによってまとめられたカルデラと花崗岩バソリスに関する総括論文においても紹介された(Lipman,1981).この研究は博士論文としてまとめられたが,その一部はTakahashi(1986),Takahashi(1987),Takahashi(2014)および高橋・他(2014)などで報告されている.また,大崩山花崗岩体の地質については,地質調査所5万分の1図幅「熊田地域」(奥村他, 1998)の一部に地質図およびその解説としてまとめられている.
1970年代にはオーストラリアのWhiteやChapellによってS-typeやI-type,また石原舜三によってmagnetite-seriesやilmenite-seriesなどの,花崗岩の新しい成因的分類である花崗岩系列が提唱され,世界を席巻した(高橋,1985).両者の分類体系を世界にさきがけて初めて比較検討した論文がTakahashi et al.(1980)である.荒牧重雄氏および石原舜三氏との共著であるこの論文によって,S-typeがilmenite-seriesであること,I-typeにはmagnetite-seriesとilmenite-seriesの両方が含まれることが初めて明らかにされた.
花崗岩研究は1980年代~1990年代にかけては,主に南部フォッサマグナ地域の山岳地帯の新第三紀花崗岩を対象に共同研究者とともに進められた.その結果の一部は,Takahashi(1989)およびTakahashi(1990)などよって報告されているが,その後も共同研究者である金丸龍夫氏(日本大学文理学部)との地質学的研究を進め,わが国で初めて本格的な帯磁率異方性による花崗岩組織研究法を導入することによって,丹沢トーナル岩体や東山梨火山複合岩体のマグマ定置機構や形成プロセスを明らかにすることができた.(金丸・高橋,2005;金丸・高橋,2007,2009など).
こうした長年にわたる花崗岩の地質学的研究の成果は,「花崗岩が語る地球の進化」(1999)(岩波書店)や「火成作用」(2012)(共立出版)などに著書として反映されている.また,最近では共同著者とともに「Geology of Japan」(Geological Society of London)の「Granitic rocks」の章をまとめている.
<代表的論文著作>
| (1) | Kumano acidic rocks and Okueyama complex: two examples of the granitic rocks in the outer zone of SW Japan. Shigeo ARAMAKI, Masaki TAKAHASHI and Tamotsu NOZAWA (1977) Proceedings of the 7th CPPP meeting IGCP, Toyama, 127-147. |
| (2) | Anatomy of a middle Miocene Valles-type caldera cluster: geology of the Okueyama volcano-plutonic complex, SW Japan. Masaki TAKAHASHI.(1986)J. Volcanol. Geotherm. Res., 29, 33-70. |
| (3) | Solidification process of the Okueyama granitic complex, Kyushu, SW Japan. Masaki TAKAHASHI(1987)J. Fac.Sci.Univ. Tokyo, Sec.II, 21, 283-308. |
| (4) | 花崗岩系列の提唱と発展.高橋正樹(1985)地質学論集,25,225-244. |
| (5) | Magnetite-series/Ilmenite-series vs. I-type/S-type granitoids. Masaki TAKAHASHI, Shigeo ARAMAKI and Shunso ISHIHARA(1980)Mining Geol. Spec. Issue, 8,13-28. |
| (6) | Neogene granitic magmatism in the South Fossa Magna collision zone, central Japan. Masaki TAKAHASHI(1989)Modern Geol.,127-143. |
| (7) | Subvolcanic vertically zoned and unzoned granitic pluton. Masaki TAKAHASHI(1990)Univ.Mus.Univ.Tokyo,Nature and Culture,2,35-48. |
| (8) | 地域地質研究報告(5万分の1地質図幅)「熊田地域の地質」 奥村公男・酒井 彰・高橋正樹・宮崎一博・星住英夫(1998) 通産省工業技術院 |
| (9) | 帯磁率異方性からみた丹沢トーナル岩体の貫入・定置機構.金丸龍夫・高橋正樹(2005) 地質雑,111,458-475. |
| (10) | 東山梨火山深成複合岩体を構成する火砕岩類の地質および構造とコールドロンの形成プロセス.金丸龍夫・高橋正樹(2009)日本大学自然科学研究所研究紀要,44,59-76 |
| (11) | 「花崗岩が語る地球の進化」. 高橋正樹(1999)岩波書店 147p |
| (12) | 「火成作用」(フィールドジオロジー8) 高橋正樹・石渡 明(2012)共立出版 202p |
| (13) | Subsurface structure of Miocene large-scale caldera cluster: Illustrated descriptions of geology of the Okueyama volcano-plutonic complex, Southwest Japan. Masaki TAKAHASHI(2014)日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要,49, 197-230 |
| (14) | 大崩山火山深成複合岩体火成岩類の全岩主化学組成ー分析データ271個の総括.高橋正樹・東野公則・金丸龍夫(2014)日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要,49, 173-195 |
| (15) | Granitic rocks. Takashi NAKAJIMA , Masaki TAKAHASHI, Teruyoshi IMAOKA and Takashi SHIMURA (2016) In Moreno,T. et al. eds. The Geology of Japan, Geological Society of London, 251-272 |
| (16) | 金峰山花崗岩体の地質と貫入定置メカニズム.高橋正樹・二平 聡・金丸龍夫(2021).No.56 (印刷中) |
2. 海外学術調査(1980年代・1990年代初め)
1980年代から1990年代初めには,10年間に4回ほど文部省海外学術調査に参加した.何れも文明の地とはほど遠い場所であった。
最初に参加したのは茨城大学理学部の小沼直樹教授が代表を務めた1983年の「アンデス火山帯の地球化学的調査」であった。小沼先生の提案されたSrBaダイアグラムによる沈み込み帯マグマの成因の解明の一環として、アンデス火山の試料を採取することが目的であった。この調査は中部アンデス隊と南部アンデス隊に分かれていて、私は中部アンデス隊に東京大学理学部の野津賢治さんと一緒に参加した。相手側は地元チリー大学のAlfredo Lahsen教授と若いHugo Moreno Loa助教授であった。運転手つきの四輪駆動トラック2台にキャンプ用具と食料を積み込み、4人で標高4000mを超える無人に近い半砂漠のアルティプラノ高地の火山の調査を2週間にわたって行った。ペルーとの国境近くのチリー陸軍の国境警備隊の貨車を改造した粗末な兵舎に泊めてもらったとき、私は熱を出して寝込んでしまい、軍医から尻に注射をしてもらった。この時は、正直もう生きて日本には帰れないかもしれないと思った。
当時のチリー政府は、軍事クーデターで政権を取り独裁政治を行っていたピノチェト政権であった。首都サンチアゴの街は冬ということもあって沈鬱な雰囲気であった。最後まで自ら銃をとって戦ったというアジェンデ大統領の立て籠もった大統領府のモネダ宮は、軍事クーデターで破壊され、当時も銃弾の後が生々しく残っていた。優しげで憂いを帯びた初老のLahsen教授は、もともとはパレスチナのキリスト教徒であったという。好きな国はどこかと尋ねると、イタリアだと答えていた。
南部アンデス隊の小沼先生たちが雇用したヘリコプターの操縦士は、まもなくヘリコプターの墜落で命を落としたという。リーダーの小沼先生も、その後不慮の事故でこの世を去られてしまった。研究は途上であり、まことに残念なことであった。
次の調査は、東京工業大学理学部の河野 長教授を代表とする1987年の「北東アジアのテクトニクスに関する調査」であった。河野先生は地球電磁気学の専門家で、同じ分野の若手の綱川さんと当舎さんが加わっていた。この時も北東アジア中生代の古地磁気学的研究によるテクトニクスの解明がメインテーマであった。地質学研究者として、私と木村 学さん(後に東京大学大学院)が参加していた。河野先生達は現地においてドリルで岩石に孔を開けて古地磁気測定用サンプリング、私は専ら地質柱状図の作成を担当していた。河野先生は自ら掘削機を操りサンプリングを行っていたが、中国人は「教授ともあろう者がなぜ自から肉体労働をするのか」と言って不思議がっていた。調査は1ヶ月にも及び、調査地は黒竜江省の七台河、遼寧省の本渓、山西省の大同と静楽であった。30年前の当時の中国の奥地は現在と違ってまだ大変な所であった。調査に当たっては、必ず公安警察の車がついてきて、私服警察官が監視をしていた。
「北東アジア」の次は1988年のチベット高原の調査であった。この調査は名古屋大学理学部の諏訪兼位教授が代表を務め、「インド大陸衝突前のチベット高原の構造発達史に関する調査」がメインテーマであった。諏訪兼位先生の御専門は花崗岩と変成岩であり、諏訪先生以外には、副隊長の九州大学理学部の柳 哮教授(火成岩岩石学)、愛媛大学理学部の小松正幸教授(変成岩岩石学)、名古屋大学理学部の榎並正樹さん(変成岩岩石学)そして私がメンバーであった。相手側は、成都地質鉱産研究所の、賀 苓明教授、劉 振声助教授、劉 朝基助教授で、専門は花崗岩、変成岩であった。調査はラサから北上し那曲を経て安多までの経路である。移動には日本から持ち込んだランドクルーザーと現地のジープを使用した。主な対象は、ラサ周辺から那曲までの中生代花崗岩と安多周辺のオフィオライトであった。調査は7月から9月初めまでの約2ヶ月の長丁場であった。成都からラサ空港まで航空機で飛んだが、ラサは3000mを超える高地なので早速高山病に見舞われた。この時の調査では、高度は6000m近くにまで及んだ。チベット高原はアンデス高原以上に過酷な場所で、夏季は雨が良く降るのだが、降る雨は冷たい霰であることが多かった。9月初めには、ラサの裏山にも薄らと白い雪が積もるようになっていた。
当時ラサでは中国政府に対するチベット住民の抗議デモが頻発していた。車の運転手は現地雇いの若いチベット人であったが、乗員が日本人だけになると、ダライラマの写真を取り出してフロントガラスの傍らに掲げていた。那曲では地方政府の元気な若いチベット人の役人と知り合いになった。私たちがラサに戻ってまもなく、彼が交通事故で亡くなったという知らせが届いた。鳥葬の国では、人の命も羽毛のようにはかないのかと思った。
最後の海外学術調査は、1993年のキルギス天山山脈の支脈タラス山脈の調査であった。この調査は茨城大学理学部の田切美智雄教授が代表で、私が参加した時の調査では、私の他に大学院生の矢野君が参加していた。メインテーマは「ダイヤモンドを含むようなマクバル超高圧変成岩・エクロジャイトの調査」であった。ソ連解体後独立まもないキルギスの首都ビシュケクへの日本からの直行便はなく、一度ロシアのモスクワまで行って、再び戻ってくるという行程であった。モスクワ訪問は、ソ連崩壊後の市街戦を伴う動乱直後のことであり、黒焦げになった建物の壁など、その面影は市内に残されていた。町中で少年がソ連首脳のマトリョーシカを売っていた。エリツィンの中にゴルバチョフが、ゴルバチョフの中にブレジネフが、ブレジネフの中にフルシチョフが、フルシチョフの中にスターリンが、そして最後に小さなレーニンが現われた。あまりに面白かったので、思わず買ってしまった。
学術調査の相手側はキルギス人のBakirov教授と助手の方で、ロシア人とタタール人の女性研究者も同行した。調査には四輪駆動車を使用したが、運転手はロシア人であった。アジア人の雇い主が白人の使用人を使うという、何となく面白い光景だった。顔立ちばかりでなく、メンタル面でも、キルギス人は日本人に何となくよく似ていた。夏のステップ平原は所々にお花畑の咲き誇る、大変気持ちの良い場所であった。タラスは8世紀に唐とアッバース朝の2大勢力の戦闘があった場所である。タラス山系の山奥でキャンプをした私たちは、日本人、キルギス人、ロシア人、タタール人が一緒になり、星降る夜空の下でキャンプファイヤーの火を囲み、日本語とロシア語で「カチューシャ」の歌を歌った。不思議な思いであった。
3. マグマ活動とテクトニクス研究の時代(1980年代)
わが国に本格的にプレートテクトニクスが導入された1980年代には,プレートテクトニクスとマグマ活動についての研究を進めた.大規模珪長質マグマ活動(花崗岩バソリスの形成)とプレートテクトニクスの関係について取りまとめた小論(高橋,1980)は,わが国では初めてのものであり,その中で中期中新世西南日本外帯の花崗岩マグマ活動および瀬戸内火山活動が,当時の日本海の拡大に伴う西南日本の拡大直後の熱い四国海盆へののし上げ(熱いプレートの沈み込み)によって起きたとする説を初めて提案した.また,共同研究者とともに中期中新世西南日本外帯・瀬戸内地域マグマ活動におけるマグマ化学組成の空間変化に関する論文をまとめ(中田・高橋,1979),本地域におけるマグマ化学組成の島弧横断方向の変化が,当時明らかにされていた一般的な島弧横断方向の変化と大きく異なることを明らかにした.また,東アジアの中生代マグマ活動とプレートテクトニクスの関係について花崗岩とそれに伴う大規模珪長質火山活動を中心に検討し,それをTakahashi(1983)にとりまとめた.これは,プレートテクトニクス登場後,東アジアの中生代マグマ活動とテクトニクスの関係について取りまとめた初めてのものであった.この中で,日本列島の白亜紀花崗岩活動が中央海嶺の沈みこみに関係することや,三波川変成帯のような高圧中間群の変成帯の成因にも熱いプレートの沈み込みが関係する可能性について初めて指摘している.その後中国東北部に関する海外学術調査に参加し,東アジアの中生代マグマ活動とテクトニクスについての研究を深める機会を得た(Kimura, Takahashi and Kono,1990).
また,東北地方南部から関東地方北部の日本海拡大前後のマグマ活動や,南部フォッサマグナ地域の中新世以降のマグマ活動などについて研究を進め,アイスランダイトのような特異な火山岩類の報告を行い,この時代の日本列島が,現在の沈み込み境界マグマ活動とは異なる,きわめて特異な状況に置かれていたことを示した(高橋,1986; 高橋他,1995など).
また,第四紀の収束プレート境界のマグマ活動と沈み込みプレートの性質との関係についても研究を進め,収束プレートに共通して出現する高アルミナ玄武岩のNa2O量と沈み込みプレートの年代の間に関連性があることを見出し(Takahashi,1988),島弧玄武岩マグマ活動が,単に放出される水の問題だけではなく,ダイナミックな沈み込みプレートの運動およびマントルウェッジ内の対流と密接な関係があることを示唆した.特に,1980年代に海外学術調査を実施した南部チリーと東北日本の島弧マグマ活動とテクトニクスの比較検討を行い,両者の違いが沈み込む海洋プレートの年代の違いに由来することを明らかにした(Takahashi et al.,2002).こうした島弧玄武岩マグマの成因と収束プレート境界のテクトニクス場との関係についての研究は,その後「島弧・マグマ・テクトニクス」(2000)として著書にまとめられた.
<代表的論文著作>
| (1) | 変動帯における大量珪長質マグマ活動と上部地殻形成.高橋正樹(1980)月刊地球,2,837-845. |
| (2) | 西南日本外帯・瀬戸内区における中新世の中性~珪長質マグマの化学組成広域変化.中田節也・高橋正樹(1979)地質雑,85,571-582. |
| (3) | Space-time distribution of late Mesozoic to early Cenozoic in east Asia and its tectonic implications. Masaki TAKAHASHI.(1983)In Accretion tectonics in the circum-Pacific region, Hashimoto,M. and Uyeda,S. eds., 69-88. |
| (4) | Mesozoic collision-extrusion tectonics in eastern Asia. Gaku KIMURA, Masaki TAKAHASHI and Masaru KONO(1990)Tectonophysics,181,15-23. |
| (5) | 日本海拡大前後の島弧マグマ活動.高橋正樹(1986)岩波科学,56,103-111. |
| (6) | 希土類元素組成からみた東北日本中新世アイスランダイトの成因.高橋正樹・野口高明・田切美智雄(1995)地質学論集,44,65-74. |
| (7) | On the Na2O content of convergent zone high-alumina basalts. Masaki TAKAHASHI(1988)Chem.Geol.,68,17-29. |
| (8) | Comparative study of arc volcanism: Chile vs. Northeast Japan. Masaki TAKAHASHI, Michio TAGIRI, Kenji NOTSU, Leopold Lopez-Escobar and Hugo Moreno-Roa(2002). Proceedings of the Institute of Natural Sciences,Niohn University,37,135-156 |
| (9) | 「島弧・マグマ・テクトニクス」. 高橋正樹 (2000) 東京大学出版会 322P |
4. マグマ供給系と火山テクトニクス研究の時代(1990年代)
1970年代~1980年代に,中村一明先生は火山活動と広域応力場の間に密接な関係があることを主張していた.中村先生との議論の中で,こうした火山テクトニクスの問題をもっと実証的なやり方で深めていこうということで研究が始まった.残念なことに,中村先生は 1988年に突然逝去されてしまい,私に課題が残された(高橋, 1992,1994).火口配列と応力場の関係についての再検討を始め,すべての火山の火口配列が広域応力場のσHmaxの方向をみているわけではないこと,特に逆断層の発達する地域は特異であること,独立単成火山群と複成火山の間に,火道不安定型複成火山が存在すること,などが示された(高橋,1994ab).また,特に逆断層卓越地域では,地下に岩床コンプレックスが存在することが予想されたが,後にこれは東北大地震研究グループらによる火山地域における多数のS波反射面の存在により確認された(高橋・高橋, 1995; 高橋,1995a).さらに,長期的地殻歪速度と大規模珪長質火山活動との関係から,地殻歪速度の小さい地域に大規模珪長質火山活動がみられ,大規模珪長質火山活動の原因としてマグマの溜りやすい地殻環境が重要であることが示された(高橋,1995b).この地殻歪速度と大規模珪長質火山活動を関連付けたモデルは,最近になってTatsumi and Suzuki(2012)によって取り上げられ再検討されている.テクトニクス場との関係から,特異な火山である富士山の地下にはミニ中央海嶺とよぶべきようなマグマ供給システムが存在していること(高橋,2000,2007),13万年前以降の箱根火山では,左横ずれ活断層系が中央火口丘を縦断しており,そのプルアパート部に中央火口丘が形成されていることなどが示された(高橋他,1999; 高橋・長井,2007;長井・高橋; 2008).
火山のマグマ供給系について分解能を上げた形で議論するためには,各火山の形成史について地質学的検討が行われた後,きわめて多数の試料に基づいた化学分析の結果など,実証的な記載データの蓄積が重要である.また,こうして得られた結果は,火山防災や火山減災のための基礎的データともなり得る.こうした「論より証拠」主義の下,関東地方周辺の火山を中心に,共同研究者とともに時間をかけた地道な野外調査研究が実施された.対象とした火山は,東伊豆単成火山群(高橋他,2002; 菊池・高橋,2003),箱根(高橋他,2007;長井・高橋,2008),愛鷹,小御岳,富士(高橋他,2003,2004),黒富士(高橋他,2012),烏帽子(高橋他,2013),浅間(高橋他,2006,2007ab),草津白根(高橋他,2010),榛名(高橋他,2016),子持(高橋他,2018),赤城(高橋他,2012),日光(高橋他,2010;平野・高橋,2005),那須(高橋他,2016),白河火砕流堆積物(吉田・高橋,1987; 2010; 高橋・吉田,1997),十和田,アトサヌプリ,桜島(高橋他,2011,Takahashi et al,2013 ),南九州火砕流堆積物などの多数におよぶ.その結果,例えば富士や浅間では,これまでに1000個を超える分析値が蓄積された.これらの火山の研究によって得られた分析値の総数は,未公表のものを含めてこれまでに数千個を超える.また,これらのうち,特に箱根火山と浅間火山の野外地質学的調査研究を共同研究者ともに精力的に進め,火山地質学の師である荒牧重雄氏の浅間火山の地質と,その師である久野 久氏の箱根火山の地質を多少とも書き変えることができた.箱根火山の見直しについては、学部・大学院修士課程で私の学生だった共同研究者である長井雅史氏(防災科学技術研究所)の精力的な調査が大いに役立った。長年の野外調査の成果である新しい箱根火山像に基づく箱根火山の5万分の1地質図については,日本地質学会からの国立公園リーフレット1(日本地質学会,2007)として出版されている.
<代表的論文著作>
| (1) | 火山と割れ目.高橋正樹(1992)岩波科学,62,777-785. |
| (2) | 火山活動と地殻応力場.高橋正樹(1994)地学雑誌,103,447-463. |
| (2) | 複成火山の構造と地殻応力場1. 火道安定型・不安定型火山.高橋正樹(1994)火山,39,191-206. |
| (3) | 複成火山の構造と地殻応力場2. P-type・O-type火山.高橋正樹(1994)火山,39,207-218. |
| (4) | 大規模珪長質火山活動と地殻歪速度.高橋正樹(1995)火山,40,33-42. |
| (5) | 日本列島第四紀島弧火山における地殻内浅部マグマ供給システムの構造.高橋正樹(1997)火山特別号,42,S175-S187. |
| (6) | 何が島弧火山の深部構造を決めるのか.高橋栄一・高橋正樹(1995)岩波科学,65,638-649. |
富士火山
| (7) | 富士火山のマグマ供給システムとテクトニクス場.高橋正樹(2000)月刊地球 |
| (8) | 富士山の地下に秘められた謎.高橋正樹 岩波科学,77,1274-1282(2007) |
| (9) | 富士火山噴出物の全岩化学組成—分析データ847個の総括— 高橋正樹・小見波正修・根本靖彦・長谷川有希絵・永井 匡・田中英正・西 直人・安井真也(2003)日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要, 38, 117-166 |
小御岳・愛鷹火山
| (10) | 愛鷹火山噴出物の全岩化学組成―分析データ221個の総括―.高橋正樹・西 直人・三島裕久・金丸龍夫(2015)日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要, 50, 149-208 |
| (11) | 小御岳火山噴出物の全岩化学組成.高橋正樹・須合辰也・金丸龍夫(2015)日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要, 50, 209-254 |
箱根火山
| (12) | 箱根火山の形成史と広域テクトニクス場.高橋正樹・長井雅史・内藤昌平・中村直子(1999)月刊地球,21,437-445. |
| (13) | 15万年前以降における箱根火山の浅部マグマ供給システムとテクトニクス場―横ずれ活断層システムに切られた活火山.高橋正樹・長井雅史(2007)月刊地球号外,57,173-181 |
| (14) | 箱根火山の地質と形成史.長井雅史・高橋正樹(2008)神奈川県博調査研報(自然), 13,25-42 |
| (15) | 箱根火山前期・後期中央火口丘噴出物の全岩化学組成.高橋正樹・内藤昌平・中村直子・長井雅史 日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要,41,151-186(2006) |
| (16) | 箱根火山外輪山噴出物の全岩化学組成.長井雅史・高橋正樹(2007)日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要,42,71-96 |
| (17) | 「箱根火山」(5万分の1地質図付き)(2007)国立公園地質リーフレット1 (編集委員長:高橋正樹)日本地質学会 |
伊豆東部火山
| (18) | 東伊豆単成火山群玄武岩類の液相濃集元素組成 高橋正樹・菊地康次・漆畑忠之・荒牧重雄・葉室和親 日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要(2002),37,119-134 |
| (19) | 東伊豆単成火山群同時期噴出火山列の岩石学.菊地康次・高橋正樹(2004)日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要,39,217-246 |
黒富士火山
| (20) | 黒富士火山噴出物の全岩化学組成―分析データ142個の総括―.高橋正樹・黒澤大陸・金丸龍夫(2012)日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要,47,401-434 |
烏帽子火山
| (21) | 烏帽子火山群噴出物の全岩主化学組成―分析データ222個の総括―. 高橋正樹・大塚 匡・平川貴司・長井雅史・安井真也・荒牧重雄(2013)日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要, 48, 111-140 |
浅間火山
| (22) | 浅間前掛火山噴出物の全岩主化学組成.高橋正樹・安井真也・市川八州夫・上岡優子・浅香尚英・阪上雅之・田中英史(2007) 日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要,42,55-70 |
| (23) | 浅間仏岩火山噴出物の全岩主化学組成―分析データ307個の総括―.高橋正樹・向井有幸・中島 徹・安井真也・金丸龍夫(2008)日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要,43,167-193 |
| (24) | 浅間黒斑火山噴出物の全岩主化学組成―分析データ288個の総括―.高橋正樹・中島 徹・向井有幸・安井真也・金丸龍夫(2008)日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要,43,195-216 |
草津白根火山
| (25) | 草津白根火山噴出物の全岩主化学組成―分析データ305個の総括―.高橋正樹・河又久雄・安井真也・金丸龍夫(2010) 日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要,45,205-254 |
榛名・子持・赤城火山
| (25) | 榛名火山噴出物の全岩化学組成―分析データ235個の総括―.高橋正樹*・渡辺由美子・関 慎一郎・金丸龍夫・竹本弘幸(2016)日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要,51,179-219 |
| (26) | 子持火山放射状岩脈群の全岩化学組成―岩脈102枚の分析データの総括―.高橋正樹・久保誠二・高杉直彰・河野 保・安井真也・金丸龍夫(2018)日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要,53,77-96 |
| (27) | 赤城火山噴出物の全岩化学組成―分析データ381個の総括―.高橋正樹・関 慎一郎・鈴木洋美・竹本弘幸・長井雅史・金丸龍夫(2012)日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要,47,341-400 |
日光火山
| (28) | 日光白根火山周辺域における20ka以降の浅部マグマ供給系モデル.高橋正樹(1994) 月刊地球,16,231-236. |
| (29) | 日光火山群のマグマ供給システム.高橋正樹・佐々木 実(1995)岩波科学,65,659-672. |
| (30) | 日光男体火山最末期噴出物の斑晶鉱物化学組成とマグマ溜りプロセス.平野公平・高橋正樹(2006)日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要, 41, 123-150 |
| (31) | 日光男体火山噴出物の全岩化学組成とマグマ供給システム.高橋正樹・吉田 剛・五十嵐俊成・金丸龍夫(2009)日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要,44, 1-58 |
| (32) | 日光火山日光溶岩ドーム群の全岩主化学組成―分析データ205個の総括.高橋正樹・関根英正・矢島有紀子・金丸龍夫(2017)日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要,52,135-179 |
那須火山
| (33) | 那須茶臼岳火山噴出物の全岩主化学組成―分析データ114個の総括―.高橋正樹*・中島洋一・安井真也・金丸龍夫・南雲 旭(2016)日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要,51,129-177 |
白河火砕流
| (34) | 白河火砕流東部地域の地質.吉田英人・高橋正樹(1991)地質雑,97,231-249. |
| (35) | 白河火砕流を噴出したマグマ供給系の進化 1. 噴出様式の時間変化.高橋正樹・吉田英人(1996)岩鉱,91,177-184. |
| (36) | 白河火砕流を噴出したマグマ供給系の進化―その2 全岩化学組成と鉱物化学組成の視点からー.吉田英人・高橋正樹(2010)日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要,45,171-204 |
桜島火山
| (32) | 桜島火山および姶良カルデラ噴出物の全岩化学組成―分析データ583個の総括. 高橋正樹・大塚 匡・川俣博史・迫 寿・安井真也・金丸龍夫・大槻 明・島田 純・厚地貴文・梅澤孝典・白石哲朗・市来祐美・佐竹 紳・小林哲夫・石原和弘・味喜大介(2011)日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要),46,132-200 |
| (36) | Temporal variation for magmatic chemistry of the Sakurajima Volcano and Aira caldera region, southern Kyushu, southwest Japan since 61ka and its implications for the evolution of magma chamber system. Masaki TAKAHASHI, Tadashi OTSUKA, Hisashi SAKO, Hiroshi KAWAMATA, Maya YASUI, Tatsuo KANAMARU, Mei OTSUKI Tetsuo KOBAYASHI, Kazuhiro ISHIHARA and Daisuke MIKI (2013,) J.Volcanol.Soc.Japan, 58, 19-42 |
5. プロキシマル火山地質学研究の時代(2000年代~2010年代)
火山地質学は1980年代にWalkerらの仕事を中心に,physical volcanologyとの関連の中で著しい発展を遂げ,その成果はCass and Wrightの“Volcanic Succession”(1986)などの著作にまとめられた.しかし,これらの成果は,いわば火口から離れたdistalな場所での火山噴出物の研究が主体であった.これに対して,私が日本大学に移った2000年代に入ってから,安井真也氏を初めとする我々の研究グループは,これまで見落とされてきた火口近傍の火山地質学的な諸問題を対象とする「プロキシマル火山地質学」を新たに提唱した(高橋,2006)。これらの研究対象には,火口近傍の火砕岩の溶結現象,火口内あるいは火道最上部で繰り返される破砕現象と溶結現象,火砕成溶岩,火砕丘や成層火山の内部構造,カルデラの地下内部構造,溶岩流の表面形態などの諸問題が含まれる。
これまで共同研究者とともに進めてきた研究には,富士火山山頂および山腹における溶結火砕岩(安井他2003),浅間火山における成層火山体の内部構造(安井他,2005;高橋・安井,2006; 高橋他,2006;高橋他,2008;2013),浅間火山や那須火山の火砕成溶岩(高橋他,2006; 高橋他,2016),富士火山青木ヶ原溶岩の火口近傍相と溶岩表面形態(高橋他,2007), 伊豆大島火山安永溶岩の表面形態および三原山火砕丘の内部溶結構造(御園生他,2006),桜島火山大正噴火噴出物(安井他,2006),安永噴火噴出物(Yasui et al.2013)などがある.
<代表的論文著作>
| (1) | プロキシマル火山地質学.高橋正樹(2006)月刊地球,28,201-203 |
| (2) | 富士火山山頂部の最新期溶結火砕岩と東側山腹の巨大岩塊を含む火砕成溶岩.安井真也・高橋正樹・永井 匡・小笠原耕介(2003) 日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要,38,103-115 |
| (3) | 浅間前掛火山のブルカノ式噴火の噴出物の岩石組織の多様性―天仁噴火から2004年噴火までー.安井真也・高橋正樹・阪上雅之・日本大学浅間火山2004年噴火調査研究グループ(2005)火山,50,501-518 |
| (4) | 安山岩質成層火山の異なるタイプー前掛タイプと黒斑タイプー.高橋正樹・安井真也(2006)月刊地球,253-256 |
| (5) | 流動化した火砕丘―浅間前掛火山上舞台溶岩と那須火山茶臼岳溶岩.高橋正樹・安井真也・土橋広宣(2006)月刊地球,28,240-244 |
| (6) | 残留磁化から推定した成層火山を構成するプロキシマル火砕岩の成因ー浅間黒斑火山の例ー.高橋正樹・市川寛海・金丸龍夫・安井真也(2009)月刊地球,31,57-63 |
| (7) | 浅間黒斑火山崩壊カルデラ壁北部仙人岩付近のプロキシマル火砕岩相: 牙溶岩グループの火山角礫岩・凝灰角礫岩および仙人溶岩グループの溶結火砕岩.高橋正樹・市川寛海・金丸龍夫・安井真也・間瀬口輝浩(2012) 日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要 |
| (8) | 富士火山貞観噴火と青木ヶ原溶岩.高橋正樹・松田文彦・安井真也・千葉達朗・宮地直道(2007)「富士火山」荒牧重雄・藤井敏嗣・中田節也・宮地直道編 303-338 山梨県環境科学研究所・日本火山学会 |
| (9) | 伊豆大島火山安永玄武岩質溶岩の表面形態.御園生祐介・高橋正樹・安井真也(2007)日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要,42,97-116 |
| (10) | 桜島火山大正噴火の噴火様式とその時間変化.安井真也・高橋正樹・石原和弘・味喜大介(2007)火山,52,161-186 |
| (11) | Comparative study of proximal eruptive events in the large-scale eruptions of Sakurajima Volcano: the An-ei vs. Taisho eruption. Yasui, M., Takahasshi, M., Shimada, J., Ishihara,K and Miki,D. (2013), J.Volcanol.Soc.Jap., 58, 59-76 |
| (12) | 浅間前掛火山のプロキシマル火山地質学及び巡検案内書―浅間前掛火山黒豆河原周辺の歴史時代噴出物―.高橋正樹・安井真也(2013)火山,58,311-328 |
| (13) | 那須茶臼岳火山噴出物の全岩主化学組成―分析データ114個の総括―.高橋正樹*・中島洋一・安井真也・金丸龍夫・南雲 旭(2016)日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要,51,129-177 |
6. 高レベル放射性廃棄物地層処分と地質環境長期安定性研究の時代(1990年代~2010年代)
1990年代から高レベル放射性廃棄物の地層処分に関わる日本列島の地質環境の長期安定性の研究開発に関係し,中でもマグマ活動の長期安定性と将来予測についての研究を開始した.この過程で,日本火山学会を中心とした「日本の第四紀火山カタログ」の作成に関わり, 1999年にこのカタログを完成させ日本火山学会から発行した.こうした研究活動の成果も取り込んだ形で,JNCにより報告書(2000年レポート)がまとめられ,その結果に基づき国会においてわが国における地層処分の実施が法律で定められた.
2000年以降は,日本地質学会に地質環境長期安定性検討研究委員会を北大の故渡辺暉夫氏とともに立ち上げ、その後委員長も務めた.2000年代はJNC(現在のJAEA)2000年レポートの積み残し課題に取り組み,共同研究者とともに,単成火山群形成の確率論的予測(Martin et al.,2003)や,東北地方の背弧側地域における火山形成の確率論的将来予測(Martin et al.,2005)の手法開発の共同研究に参画した(高橋・Martin,2004).また,研究委員会から地質リーフレットとして,「日本列島と地質環境の長期安定性」(2011)を発行し,この問題に対する日本地質学会の社会的貢献を図った.地層処分は現在きわめて大きな社会問題となっており,国民に科学的,合理的判断の材料を提供する義務があるという点で,わが国の地質学は重い任務を負っている.地層処分問題の今後の進展に期待したい。
<代表的論文著作>
| (1) | 「日本の第四紀火山カタログ」.日本火山カタログ編集委員会(1999)日本火山学会 |
| (2) | Probablistic methods for estimating the long-term spatial characteristics of monogenetic volcanoes in Japan. Martin,A, Takahashi,M.,Umeda,K. and Yusa,Y. (2003) Acta. Geophysica Polonica, 51, 271-289 |
| (3) | Modeling the long-term future distribution of volcanism in the Tohoku volcanic arc, Japan, through Bayesian inference. Martin,A.J., Umeda,K., Connor,C.B., Zhao,D. and Takahashi,M. (2004) J. Geophys Res., 109,B10208,doi:10.1029/2004JB003201 |
| (4) | 今後10万年間どこに火山はできるかーマグマ供給システムの長期安定性をめぐってー 高橋正樹・Martin,A. (2004) 月刊地球,26,386-394 |
| (4) | 「日本列島と地質環境の長期安定性」.地質リーフレット4,吉田英一他(2011)日本地質学会 |
7. 超巨大噴火と火山災害研究の時代(1990年代~2010年代)
1990年代初めの雲仙普賢岳の噴火以来,日本列島各地の活火山について,その防災対策とハザードマップの作成の動きが始まった.その中で,栃木県,福島県,神奈川県の活火山,那須火山,安達太良・吾妻火山,箱根火山のハザードマップ作成には委員の一人として参画した.その後,特に巨大カルデラやそれに関連した花崗岩バソリスの形成と深く関連した深刻な超巨大噴火とその火山災害の問題について研究を深めた.その成果の一部は,高橋(2003,2008,2012)などにまとめられており,さらに「破局噴火」(2008)として一般向け著書にまとめられている.また、最近出版された日本惑星地球科学連合30周年記念の「地球・生命・惑星」(東大出版会)において、「破局噴火」について書かせて頂いた。本が完成後よく見たら、私は最年長の分担執筆者であることがわかり愕然とした。
最近では浅間前掛火山の噴火史および形成史を明らかにするために、安井真也氏や金丸龍夫氏らとともに、4年間にわたってトレンチとボーリング掘削を行った。最終的な目的は、浅間前掛火山の長期的な噴火予測のために、確率論的な噴火事象系統樹と階段ダイアグラムを作成することにある。このための経費は文部科学省の「次世代火山研究・人材育成総合プロジェクト」「噴火履歴調査による火山噴火の中長期予測と噴火推移調査に基づく噴火事象系統樹の作成」プロジェクトによった。その結果、浅間前掛火山の高分解能テフラ層序を明らかにすることができ、また試作的なものではあるが、確率論的噴火事象系統樹と階段ダイアグラムの作成も行うことができた。浅間前掛火山の火山防災に多少とも貢献できれば幸いである。
<代表的論文著作>
| (1) | 大規模カルデラ噴火のリスクと予測可能性.高橋正樹(2003) 月刊地球,25,857-860 |
| (2) | 超巨大カルデラ噴火のマグマ・システム.高橋正樹(2008)月刊地球号外,60,134-140 |
| (3) | 超巨大噴火と「火山の冬」.高橋正樹(2012)エアロゾル研究,27,278-283 |
| (4) | 破局噴火―秒読みに入った人類壊滅の日.高橋正樹 (2008) 244p 翔伝社新書 翔伝社 |
| (5) | 大噴火の恐怖がよくわかる本.高橋正樹(監修)(2015)189p PHP |
| (6) | 破局噴火.高橋正樹(分担執筆) (2020) 「地球・生命・環境」 東京大学出版会 |
| (7) | 浅間前掛火山テフラ・トレンチ調査により得られた降下軽石の全岩主化学組成―浅間前掛火山における最近1万年間のマグマ主化学組成の時間変化.高橋正樹・安井真也・金丸龍夫・山下大輔(2019)日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要,54, 143-172 |
| (8) | 浅間火山火車岩屑なだれ堆積物の再発見―浅間家畜育成牧場と周辺地域の火山地質―.安井真也・高橋正樹・金丸龍夫(2019)日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要 |
| (9) | 浅間前掛火山高分解能テフラ層序学のための降下テフラ・トレンチ掘削プロジェクト2016~2018年度成果報告―地質記載・14C年代・軽石全岩化学組成―.高橋正樹・安井真也・金丸龍夫 (2020)日本大学自然科学研究所研究紀要, 55, 93-153 |
3. エピローグ
以上のように,これまで行ってきた研究等の主なものは,わが国における花崗岩地質学の発展,マグマ活動とテクトニクス関係論の進展,火山テクトニクスとマグマ供給系論の発展,プロキシマル火山地質学などの火山地質学の進展,火山防災・減災の基礎となるデータベース構築に寄与する個別火山についてのデータの生産,地層処分のための日本列島地質環境の長期安定性解明のための基礎的研究,などに多少は貢献出来たのではないかと思う.
こうした研究は地質学分野の多岐にわたり,未だ途上のものデータ未公表のものも多いが,狭い分野を分析してさらに詳細にきわめていくという通常科学の常套的な方法よりは,多方面にわたる事象を総合して物事を明らかにしていくという総合的方法により進めるこ とが研究の基本姿勢であった.そもそも,地質学の価値は,分析科学であることよりは総合科学であることにあると考える.また,地質学の地域性に鑑み,国際的な場での学術活動よりは,「国土科学」として国内を中心に記載的で地道な調査研究を進め,蓄積された情報をなるべく母国語で一般社会伝達し,地質学の社会的貢献に寄与することをめざしてこれまで進んできた.こうしたやり方は,通常の研究者社会における自然科学研究者のスタンスとはやや異なる異端的なものであり、学術研究としての評価を得にくい側面がある。しかし、 3/11東日本大震災以降特に要求されている地球科学の学術研究成果の国内社会への具体的な還元,社会的要請への対応といった観点に立てば,むしろ日本における国内地質学研究の発展とその社会的貢献には,多少なりとも寄与できたのではないかと考えている.
* * * * * * *
「少年易老學難成 一寸光陰不可軽 未覚池塘春草夢 階前梧葉已秋声」
最終定年を迎えての現在の心境は、この朱熹による漢詩「偶成」に尽きる。大学入学以来、勝手気ままに研究の真似事のようなことをやっているうちに、50年余りの歳月はあっという間に過ぎ去ってしまった。好奇心が強く、いろいろと興味を持って多方面に手を出してやり散らかしているうちに、たいしたことも出来ず、すべて中途半端で、誇るべき事は間口の広さと、ひたすら山を歩いたということだけのような気もする。30代中半の頃、久城育夫先生から「あまり手を広げすぎると、研究者としてはまとまらなくなりますよ。」と御忠告を頂いたが、まさにその通りになってしまったようである。
やり残したこと、まとめ残したことも多いが、ともあれ、自らの気ままな50年の研究史を、ひとまずここで閉じることにしたい。
付帯資料
Ⅰ.社会等における活動
1. 火山防災関係
火山防災関係では、茨城大学当時、茨城県に火山がないこともあって、隣県の栃木県や福島県そして神奈川県の活動的火山のハザードマップ作成の委員会の委員などを務めた。
| (1) | 栃木県那須火山災害監視システム配置計画検討委員会委員(平成3年4月〜6年3月) |
| (2) | 福島県安達太良火山対策検討委員会委員(平成5年4月〜7年3月) |
| (3) | 福島県火山災害予想区域図等検討委員会委員(平成11年4月〜12年3月) |
| (4) | 栃木県那須火山想定災害調査検討委員会委員(平成11年4月〜12年3月) |
| (5) | 栃木県那須火山ハザードマップ作成委員会委員(平成13年4月〜14年3月) |
| (6) | 神奈川県箱根町箱根火山防災マップ作成検討委員会委員(平成14年4月〜15年3月) |
| (7) | 浅間山火山防災協議会構成員(令和2年4月~) |
2. 高レベル放射性廃棄物地層処分関係
高レベル放射性廃棄物の地層処分事業には、1990年代から30年間にわたって関係してきた。特に、科学技術庁原子力委員会専門部会委員として、動燃・サイクル機構がまとめた「高レベル核廃棄物地層処分第2次取りまとめ」の評価に参加した。この「第2次とりまとめ」に基づいて、国会で地層処分が承認され、その実施主体としてNUMOが設置された。技術アドバイザリー委員や技術開発評価委員としてNUMOにも20年近く関わったが、当初すぐにでも決まると思われた処分場候補地はなかなか決まらず20年もの歳月が経過した。今年になって、ようやく自治体が名乗りを上げ、文献調査の候補地が決まったが、今後の道のりには遠いものがある。日本国民にとって良い結果が得られることを祈りたい。
自民党の某国会議員から処分場として南鳥島はどうかという相談を受けたことがある。「よいところに目をつけましたね」ということで、日本列島地質環境の長期安定性について解説してあげたところ、自民党の政務調査会で話をしてもらいたいということになった。自民党本部の政調会の会合で、政調会長の横で議員のみなさんに話をさせて頂いたが、永田町の自民党本部に入ることも、政調会のようなところで議員を前にして話すことも、もちろん初めての体験であった。この会合は公開であったので、マスコミもかなりやって来ていて報道されてしまった。この後、北海道の某所は長期安定度が高いという指摘をしたこともあって、北海道の「北方ジャーナル」という雑誌の記者が大学に乗り込んで来た。彼は処分場反対の急先鋒の方で、動燃の幌延施設反対運動の時は中心的な働きをしたとのことであった。話をすると「科学的内容についてはよく理解したが、感情的にはなかなか受け入れられない」と語っておられた。後日この時のインタビューの内容が北方ジャーナル誌の掲載記事となったが、事実関係に関しては歪曲することなく客観的に伝えられていたので感心した。地層処分に関しては、科学的な事実関係についての国民的なコンセンサスが形成されることがなによりも重要であると痛感した次第である。
| (1) | 動力炉核燃料開発事業団「地層科学検討委員会火山部会」検討委員(平成5年4月〜12年3月) |
| (2) | 核燃料サイクル開発機構(JNC)「火山活動評価検討委員会」委員(平成8年〜12年3月) |
| (3) | 科学技術庁原子力委員会原子力バックエンド対策専門部会「高レベル核廃棄物地層処分第2次取りまとめ評価分科会」委員(平成11年12月〜12年12月) |
| (4) | 核燃料サイクル開発機構(JNC)「地殻熱構造ワーキンググループ」主査(平成12年10月〜17年3月) |
| (5) | 核燃料サイクル開発機構(JNC)「地質環境長期安定性研究検討部会」委員(平成13年4月〜17年3月) |
| (6) | 原子力発電環境整備機構(NUMO)「技術アドバイザリー国内委員会地質環境分科会」委員(平成13年4月〜24年3月) |
| (7) | 核燃料サイクル開発機構(JNC)「高レベル放射性廃棄物地層処分に関する研究開発成果取りまとめレビュー委員会」委員(平成17年6月〜18年3月) |
| (8) | 独立研究法人日本原子力研究開発機構(JAEA)「地層処分研究開発評価委員会」委員(平成18年3月〜平成21年3月)(平成21年4月~現在) |
| (9) | 独立研究法人日本原子力研究開発機構(JAEA)「地質環境の長期安定性研究検討委員会」委員(平成18年4月) |
| (10) | 原子力発電環境整備機構(NUMO)「技術開発評価会議」委員(平成24年4月~令和3年3月) |
3. 文部科学省関係
一時、鉱物学、火山学、固体地球物理学という異なる分野の学術会議研究連絡委員会の委員を仰せつかり、また、エネルギー・社会基盤や地震防災に関する巨額な科学技術振興調整費の審査委員と評価委員をやらせて頂いた。これらはある意味で良い経験となった。
| (1) | 日本学術会議鉱物学研究連絡委員会委員(平成12年4月〜15年3月) |
| (3) | 日本学術会議火山学研究連絡委員会委員(平成12年4月〜15年3月) |
| (4) | 日本学術会議固体地球物理学研究連絡会委員(平成15年4月〜18年3月) |
| (5) | 学術審議会専門委員・文部科学省科学技術振興調整費審査部会「エネルギー・社会基盤等ワーキンググループ」委員(平成13年4月〜16年3月) |
| (6) | 日本学術振興会特別研究員等審査会専門委員(平成15年8月〜17年7月) |
| (7) | 独立行政法人科学技術振興機構・科学技術振興調整費「地震・防災研究評価ワーキンググループ」委員(平成16年4月〜17年3月) |
| (8) | 日本学術会議地球惑星科学委員会国際対応分科会IAVCEI小委員会委員(平成18年12月〜29年3月) |
| (9) | 東京大学地震研究所地震・火山噴火予知研究協議会外部評価委員(平成24年度) |
| (10) | 独立研究開発法人防災科学技術研究所プロジェクト研究外部評価委員(令和元年11月) |
4. その他
| (1) 山梨県環境科学研究所特別客員研究員(平成17年4月〜24年3月) |
| (2) NPO法人日本地質汚染審査機構理事(平成21年5月~29年3月) |
| (3) 宮崎県祖母傾ユネスコエコパーク推進協議会学術部会委員(平成27年4月~29年3月) |
| (4) 神奈川県人事委員会職員採用専門考査委員(平成30年4月~31年3月) |
| (5) 群馬県浅間北麓ジオパーク推進協議会学識委員(令和元年4月) |
Ⅱ.学会における活動
学会の運営にも、40代を中心として関わってきた。日本地質学会では、副編集委員長の時に、それまで学術誌の地質学雑誌に掲載されていたニュースを、地質学会ニュースとして別冊子に独立させた。当時は反対意見も多かったが、地質学会ニュースは現在も続いており、結果的には良かったと思っている。また、普及教育事業部会の立ち上げにも関係し部会長を務めた。リーフレットの発刊など新しい事業をいくつか立ち上げたが、関連事業として朝倉書店からの「日本地方地質誌・新版」の出版にも副編集委員長として関わった。日本地質学会会員の半数以上がいわゆる学術分野ではなく企業などに属する一般社会人であり、社会に根ざした日本地質学会にすべきであるとの考えで同志と事業を進めた。一部国立大学の研究者が牛耳っていた地質学会を少しでも変えようという思いであり、それについて当時はある程度成功したが、その後は揺り戻しもみられたようである。
- 日本火山学会評議員(昭和62年4月〜平成7年3月、平成10年4月〜14年3月)
- 日本火山学会幹事・財務委員長(平成4年4月〜7年3月)
- 日本火山学会幹事・大会委員長(平成10年4月〜12年3月)
- 日本火山学会幹事・事業委員長(平成12年4月〜14年3月)
- 日本地質学会評議員(平成8年4月〜14年9月)
- 日本地質学会執行委員(平成8年4月〜11年3月;平成12年4月〜14年9月)
- 日本地質学会「地質学雑誌」編集委員長(平成8年4月〜9年3月)
- 日本地質学会副編集委員長・ニュース誌編集委員長(平成9年4月〜11年3月)
- 日本地質学会第2庶務委員長・ニュース誌編集委員長(平成12年4月〜13年9月)
- 日本地質学会普及教育事業部会長(平成13年9月〜14年9月)
- 日本地質学会「地質環境の長期安定性」研究委員会委員長(平成18年10月まで)
- 日本地質学会理事・普及教育事業部会担当(平成16年9月〜19年5月)
- 日本地質学会評議員(平成20年5月〜21年3月)
- 社団法人日本地質学会理事(平成21年4月~28年3月)
- 社団法人東京地学協会地学雑誌編集員会委員(平成24年~令和元年)副編集委員長(平成29年~令和元年)
Ⅲ.非常勤講師(教育活動)
多くの国立大学から集中講義を行う非常勤講師としてお招き頂いた。旧7帝大では、大阪大学を除くすべての大学で非常勤講師をやらせて頂いた。特に関西圏の国公立大学からは、繰り返しお招きを頂いた。京都大学が2回、神戸大学が4回、大阪市立大学が4回である。また、旧帝大以外の理学部のある国立大学では、18校中10校からお招きにあずかった。集中講義の準備は自分の考えをまとめる機会として大変役に立った。機会を与えて頂いた関係者各位には感謝の意を表したい。
集中講義先ではお招き頂いた先生方と懇談の機会があることが普通であるが、広島大学理学部では、「花崗岩の全岩化学組成はあまり意味がないのではないか」という鋭い御指摘を原 郁夫先生から頂き、さらにはこれを勉強しなさいと、現象学の哲学者メルローポンティーの著作を贈って頂いた。原先生は構造岩石学の独創的で優秀な研究者であったが、その知的背景の深さに感銘を受けた。
最後の集中講義は4回目の大阪市立大学大学院であった。招いて下さったのは、柵山雅則さんの御子息であった。柵山さんは大学院で1学年下の友人で、ずいぶんと親しくさせて頂いていた。島弧マグマ活動に関する研究で、若くして大きな成果を挙げられていたが、アイスランドの調査中に事故で若くして亡くなられていた。最後にその御子息からお招きに預かったのは、何かの因縁を感じた。実は、最初の集中講義も、名古屋大学と並んでこの大阪市立大学理学部だったのだ。その時はまだ日本の地質学革命が始まったばかりの頃で、「日本列島地質構造発達史」の市川浩一郎先生がおられて、大学近くの阪和線杉本町駅前の居酒屋で歓迎会などして頂いた。遠い思い出である。
1. 国立大学(集中講義)
| (1) | 昭和60年 | 名古屋大学講師併任理学部 |
| (2) | 昭和61年 | 大阪市立大学理学部非常勤講師 |
| (3) | 京都大学講師併任理学部 | |
| (4) | 東京大学講師併任理学部 | |
| (5) | 昭和62年 | 神戸大学講師併任理学部 |
| (6) | 昭和63年 | 静岡大学講師併任理学部 |
| (7) | 平成元年 | 金沢大学講師併任理学部 |
| (8) | 平成2年 | 広島大学講師併任理学部 |
| (9) | 平成4年 | 大阪市立大学理学部非常勤講師 |
| (10) | 平成5年 | 北海道大学講師併任理学部 |
| (11) | 平成8年 | 金沢大学講師併任理学部 |
| (12) | 平成10年 | 信州大学講師併任理学部 |
| (13) | 新潟大学講師併任理学部 | |
| (14) | 千葉大学講師併任理学部 | |
| (15) | 平成11年 | 神戸大学講師併任理学部 |
| (16) | 高知大学講師併任理学部 | |
| (17) | 島根大学講師併任理工学部 | |
| (18) | 平成15年 | 九州大学大学院非常勤講師 |
| (19) | 大阪市立大学大学院非常勤講師 | |
| (20) | 神戸大学発達科学部非常勤講師 | |
| (21) | 平成16年 | 京都大学大学院非常勤講師 |
| (22) | 山口大学理学部非常勤講師 | |
| (23) | 平成21年 | 東北大学大学院非常勤講師 |
| (24) | 平成23年 | 神戸大学大学院非常勤講師 |
| (25) | 平成28年 | 大阪市立大学大学院非常勤講師 |
2. 私立大学
| (26) | 平成7年 | 日本大学文理学部非常勤講師 |
| (27) | 平成9年 | 日本大学文理学部非常勤講師 |
| (28) | 平成11年 | 日本大学文理学部非常勤講師 |
| (29) | 平成12年 | 日本大学文理学部非常勤講師 |
Ⅳ.著書等
著書のうち,いくつかのものは好評だった.「花崗岩が語る地球の進化」(岩波書店)(1999年)は第2版まで出版されその後絶版となったが,本書はなぜか一般の方々にも評判がよく,購入希望者が多かったために古本市場で価格が急上昇し,1900円の本が一時期は8~9万円にまで価格が高騰した.「島弧・マグマ・テクトニクス」(東大出版会)(2000年)も第2版まで出版された.本書については,すでに述べたように、故都城秋穂氏から大変好意的な評価を頂き励ましになった.「破局噴火」(祥伝社新書)(2008年)は1万冊印刷されたと聞くが,現在では絶版である。本書は文系の方々からの評判がよく,岩波新書の「面白い本」(成毛 眞)に自然科学系の数冊の本の1冊として取り上げられた.「日本の火山図鑑」(誠文堂新光社)(2015年)も評判がよく,第3版まで出版された.最近出た「図解・地学の話」(日本文芸社)(2019年)は共著であるが,第2版まで出版され、さらに台湾でも翻訳されて,「趣味地球科學」(晨星出版)(2020年)として発行されている.
| (1) | 日本の火成岩(1989)岩波書店 206p(共著) |
| (2) | 日本の地質2 東北地方(1989)共立出版 338p(分担執筆) |
| (3) | 空からみた日本の火山 (1989)丸善 219p(共著) |
| (4) | 日本の地質9 九州地方(1992)共立出版 372p(分担執筆) |
| (5) | 茨城の自然をたずねて(1994)築地書館 372p(共著) |
| (6) | 地学辞典(1996)平凡社 1443p(分担執筆) |
| (7) | 地球惑星科学講座第8巻 地殻の形成(1997)岩波書店 260p(共著) |
| (8) | 関東・甲信越の火山1(1998)築地書館 166p(編共著) |
| (9) | 関東・甲信越の火山2(1998)築地書館 158p (編共著) |
| (10) | マグマと地球(1998)167p (pp131-142) クバプロ(共著) |
| (11) | 北海道の火山(1998)築地書館 152p (編共著) |
| (12) | 東北の火山(1999)築地書館 169p (編共著) |
| (13) | 九州の火山(1999)築地書館 152p (編共著) |
| (14) | 花崗岩が語る地球の進化(1999)岩波書店 147p(単著) |
| (15) | 宮沢賢治の生き方に学ぶ(1999)サンマーク出版 189p(共著) |
| (16) | 中部・近畿・中国の火山(2000)築地書館 151p(編共著) |
| (17) | 地震列島日本の謎を探る(2000) 東京書籍 235p(編共著) |
| (18) | 島弧・マグマ・テクトニクス(2000) 東京大学出版会 322P(単著) |
| (19) | 地球環境調査計測事典第1巻陸域編 (2002)1398pフジテクノシステム (分担執筆) |
| (20) | 富士を知る(2002) 54-62 集英社(共著) |
| (21) | 十和田湖と奥入瀬渓流―大噴火で生まれた美しい湖と渓流 高橋正樹(2003)日本遺産,41,十和田湖と奥入瀬・角館,8-11 朝日新聞社 |
| (22) | 伊豆・小笠原弧の衝突-海から生まれた神奈川(2004)239p有隣新書 有隣堂(共著) |
| (23) | 地質学用語集 日本地質学会編(2004)433p 共立出版(分担執筆) |
| (24) | 富士山の謎をさぐるー富士火山の地球科学と防災学(2006)214p 築地書館 (共著) |
| (25) | 日本地方地質誌4中部地方 日本地質学会編(2006)564p 朝倉書店(分担執筆) (26) 国立公園地質リーフレット箱根火山(5万分の1地質図付き)* 共著(2007) 日本地質学会 |
| (27) | 箱根たんけんマップー今,生きている火山― *.国立公園地質リーフレットたんけんシリーズ1,共著(2007)日本地質学会 |
| (28) | 火山の事典(2008)朝倉書店(分担執筆) |
| (29) | 破局噴火―秒読みに入った人類壊滅の日(2008) 244p 翔伝社新書 翔伝社(単著) |
| (30) | 日本列島と地質環境の長期安定性*.地質リーフレット4,共著(2011)日本地質学会. |
| (31) | 火成作用(フィールドジオロジー8)(2012) 202p 共立出版 (共著) |
| (32) | もういちど読みたい高校教科書「地学」(2014)400p数研出版(共著) |
| (33) | 富士山青木ヶ原溶岩のたんけんー樹海にかくされた溶岩の不思議―*.共著(2014)地質リーフレットたんけんシリーズ4,日本地質学会 |
| (34) | 日本の火山図鑑(2015)223p 誠文堂新光社(単著) |
| (35) | 大噴火の恐怖がよくわかる本(2015)189p PHP(監修) |
| (36) | Geology of Japan(2015). Geological Society of London(分担執筆) |
| (37) | よくわかる火山のしくみ(2016)95p 誠文堂新光社(単著) |
| (38) | 人類のあゆみ(2016)276p文真堂(分担執筆) |
| (39) | 視覚でとらえるフォトサイエンス地学図録(2016)216p 数研出版(分担執筆) |
| (40) | パーフェクトガイド火山のしくみ(2019)175p 誠文堂新光社(編著) |
| (41) | 図解・地学の話(2019)126p日本文芸社(共著) |
| (42) | 地球・惑星・生命(2020)264p日本地球惑星科学連合編 東京大学出版会(分担執筆) |
| (43) | 高等学校地学 数研出版(分担執筆) |
| (44) | 高等学校基礎地学 数研出版(分担執筆) |
Ⅴ.紀要について
かつての旧帝大には学風というものがあった.地質学関係でも、北大、東北大、東大、名大、京大、九大と、それぞれに個性があり学風にも違いがあって、学派(school)というものを形作っていた。こうした学風は、相互の交流のなさや講座制という特有の制度に由来するもので、確かに弊害もあったが、多様な価値観を競い合うという意味では、日本の研究自体の奥行きを保証していたように思う。また、研究の独創性という意味でも、役割を果たしていたように思う。こうした学風は、現在ではほとんどみられなくなったようである。人が動き、かき混ぜが起こって、全体が均質化してしまったのである。どこを切っても同じ、金太郎飴化である。それが良かったかと言えば、良い点ももちろんあったと思うが、弊害も大きかったのではないかと思う。少なくとも多様な価値観が失われ、独創的な発想も失われたように思われる。大学に個性は必要である。
学風が失われるとともに、個人中心の業績主義がはびこり、中味よりも数や雑誌の形式にこだわるといった時代の風潮になった。引用の数や質を示すといわれるcitation indexやimpact factorで評価するというが、学問の世界では、多数派が必ずしも真理を代表するわけではない。Geologyというアメリカ地質学会が出版するimpact factorの高い短報雑誌がある.この雑誌のある年の引用数最大の論文は,中国の研究者が書いたチベットのlocalな研究論文であった.どう考えても世界の人々が引用するとは思われない.最近やたら論文を書く中国の研究者がお互いに引用しあってこの結果が出たとしか考えられないのである(もちろん、個人的な憶測に過ぎないが).往々にして、少数派が次の時代の多数派を形成するようになる。科学革命とはそういうことである。プレートテクトニクスが登場した当初、欧米の有名な学術誌でも、プレートテクトニクスの考えに基づいた地質学論文はことごとく掲載拒否されたという。査読制度とはそんなものではないかと思う。要するに、体制主流派による規格化である。必ずしも否定はしないが、絶対視するのはどうだろう。インターネット全盛の時代、投稿が先で評価は後ということで、査読制度や権威ある学術誌などというものは無くなる可能性も大きいと思うのだが。
さて、大学に個性と学風があった時代、各大学の研究活動の中心には研究紀要あるいは研究報告というものがあった。大学から個性と学風が失われ、個人的な業績主義が蔓延するにつれて、研究紀要も次々と姿を消して行った。固体地球科学の分野でも、国立大学の付置研あるいは国立研究所などでは、研究紀要あるいは研究報告を維持しているところも多い。東京大学地震研究所彙報もそのひとつである。日本大学文理学部にも自然科学研究所研究紀要があり、特に地理や地球科学の分野では活発な活動が行われていた。それでは、日大に移ってからは、この研究紀要を中心に論文を書いてやろうと決めた。論文自体を読みもしないで、「紀要は評価しない」などと宣う方も世間には多いので、例によってここはひとつ「評価されなくとも、人のやらないことを自分は断固としてやる」という「へそ曲り精神」を発揮してやろうと思ったのである。日大文理地球に赴任してからの20年間で50篇程度の紀要論文を書くことができた。平均して年に2.5.本である。きわめて多いというわけではないが、データ記載を中心とした長編論文が多かったので、トータルでは1000ページ以上となり、別刷を重ねるとそれなりの厚さになる。赴任時の自己マニフェストを最低限は達成できたので、自己満足している次第である。
日本大学文理学部 自然科学研究所 研究紀要 論文一覧
| (1) | 東伊豆単成火山群玄武岩類の液相濃集元素組成.高橋正樹・菊地康次・漆畑忠之・荒牧重雄・葉室和親 (2002).No.37, 119-134 |
| (2) | Comparative study of arc volcanism: Chile vs. Northeast Japan. Takahashi,M., Tagiri,M., Notsu,K., Lopez-Escobar,L. and Moreno-Roa,H(2002).No.37, 135-156 |
| (3) | 富士火山山頂部の最新期溶結火砕岩と東側山腹の巨大岩塊を含む火砕成溶岩.安井真也・高橋正樹・永井 匡・小笠原耕介(2003).No.38, 103-115 |
| (4) | 浅間・前掛火山天仁噴火噴出物の全岩化学組成と天明噴出物との比較. 高橋正樹・市川八州夫・安井真也・浅香尚英・下斗米朋子・荒牧重雄(2003).No.38, 65-88 |
| (5) | 富士火山噴出物の全岩化学組成—分析データ847個の総括— 高橋正樹・小見波正修・根本靖彦・長谷川有希絵・永井 匡・田中英正・西 直人・安井真也(2003)No.38, 117-166 |
| (6) | 富士・小御岳・愛鷹火山岩類のSr・Nd同位体組成.永井 匡・高橋正樹・平原由香・周藤賢治(2004). No.39, 205-215 |
| (7) | 東伊豆単成火山群同時期噴出火山列の岩石学.菊地康次・高橋正樹(2004).No.39, 217-246 |
| (8) | 丹沢トーナル岩の全岩化学組成—分析値171個の総括—.高橋正樹・金丸龍夫・二平 聡(2004).No.39, 259-284 |
| (9) | 富士火山青木ヶ原玄武岩質溶岩の表面形態.高橋正樹,笠松舞,松田文彦,杉本直也,藪中公裕,安井真也,宮地直道,千葉達朗(2004).No.39, 175-198 |
| (10) | 富士火山青木ヶ原玄武岩質溶岩の全岩化学組成.高橋正樹・松田文彦・小見波正修・根本靖彦・安井真也・宮地直道・千葉達朗(2005).No.40,73-100 |
| (11) | 箱根火山岩類のSr・Nd同位体組成.永井 匡・高橋正樹・長井雅史・平原由香・周藤賢治(2005).No.40,101-106 |
| (12) | 桜島大正噴火の記録.安井真也・高橋正樹・石原和弘・味喜大介(2006).No.41,75-108 |
| (13) | 日光男体火山最末期噴出物の斑晶鉱物化学組成とマグマ溜りプロセス.平野公平・高橋正樹(2006).No.41, 123-150 |
| (14) | 箱根火山前期・後期中央火口丘噴出物の全岩化学組成.高橋正樹・内藤昌平・中村直子・長井雅史(2006). No.41,151-186 |
| (15) | 箱根火山外輪山噴出物の全岩化学組成.長井雅史・高橋正樹(2007).No.42,71-96 |
| (16) | 伊豆大島火山安永玄武岩質溶岩の表面形態.御園生祐介・高橋正樹・安井真也(2007).No.42,97-116 |
| (17) | 浅間前掛火山歴史時代大規模噴火噴出物の斑晶斜長石の比較記載岩石学.三浦恭子・高橋正樹・安井真也(2007).No.42,117-128 |
| (18) | 浅間前掛火山噴出物の全岩主化学組成.高橋正樹・安井真也・市川八州夫・上岡優子・浅香尚英・阪上雅之・田中英史(2007).No.42,55-70 |
| (20) | 東山梨火山深成複合岩体の全岩主化学組成.金丸龍夫・高橋正樹(2008).No43,155-165 |
| (21) | 浅間仏岩火山噴出物の全岩主化学組成―分析データ307個の総括―.高橋正樹・向井有幸・中島 徹・安井真也・金丸龍夫(2008).No.43,167-193 |
| (22) | 浅間黒斑火山噴出物の全岩主化学組成―分析データ288個の総括―.高橋正樹・中島 徹・向井有幸・安井真也・金丸龍夫(2008).No.43,195-216 |
| (23) | 日光男体火山噴出物の全岩化学組成とマグマ供給システム.高橋正樹・吉田 剛・五十嵐俊成・金丸龍夫(2009).No.44,1-58 |
| (24) | 東山梨火山深成複合岩体を構成する火砕岩類の地質および構造とコールドロンの形成プロセス.金丸龍夫・高橋正樹(2009).No.44,59-76 |
| (25) | 草津白根火山噴出物の全岩主化学組成―分析データ305個の総括―.高橋正樹・河又久雄・安井真也・金丸龍夫(2010).No.45,205-254 |
| (26) | 白河火砕流を噴出したマグマ供給系の進化―その2 全岩化学組成と鉱物化学組成の視点からー.吉田英人・高橋正樹(2010).No.45,171-204 |
| (27) | 丹沢トーナル岩複合岩体中の同時性岩脈と苦鉄質包有岩―産状と全岩希土類元素組成―.金丸龍夫・高橋正樹(2010).No.45,151-169 |
| (28) | 浅間火山2009年2月2日噴火の噴出物の分布と特徴 宮地直道・長井雅史・高橋正樹・安井真也・山川修治・中山裕則・竹村貴人・遠藤邦彦・村瀬雅之・金丸龍夫・大八木英夫・杉中佑輔・前田美紀・千葉達朗・萬年一剛(2010).No.45,265-238 |
| (29) | 浅間火山1783年噴火と1108年噴火の本質物質の見かけ密度と噴火機構.加藤史恵・安井真也・高橋正樹(2010).No.45,255-263 |
| (30) | 桜島火山および姶良カルデラ噴出物の全岩化学組成―分析データ583個の総括. 高橋正樹・大塚 匡・川俣博史・迫 寿・安井真也・金丸龍夫・大槻 明・島田 純・厚地貴文・梅澤孝典・白石哲朗・市来祐美・佐竹 紳・小林哲夫・石原和弘・味喜大介(2011).No.46,132-200 |
| (31) | 甲府北部新第三紀~第四紀更新世前期火成岩類全岩化学組成の時間変化 金丸龍夫・高橋正樹・黒澤大陸(2011).No.46,115-131 |
| (32) | 黒富士火山噴出物の全岩化学組成―分析データ142個の総括―.高橋正樹・黒澤大陸・金丸龍夫(2012).No.47,401-434 |
| (33) | 赤城火山噴出物の全岩化学組成―分析データ381個の総括―.高橋正樹・関 慎一郎・鈴木洋美・竹本弘幸・長井雅史・金丸龍夫(2012).No.47,341-400 |
| (34) | 箱根ジオパーク構想で保存すべき箱根外輪山の重要露頭.長井雅史・高橋正樹(2012).No.47,287-339 |
| (35) | 浅間黒斑火山崩壊カルデラ壁北部仙人岩付近のプロキシマル火砕岩相: 牙溶岩グループの火山角礫岩・凝灰角礫岩および仙人溶岩グループの溶結火砕岩.高橋正樹・市川寛海・金丸龍夫・安井真也・間瀬口輝浩(2013).No.48, 141-168 |
| (36) | 烏帽子火山群噴出物の全岩主化学組成―分析データ222個の総括―. 高橋正樹・大塚 匡・平川貴司・長井雅史・安井真也・荒牧重雄(2013).No.48, 111-140 |
| (37) | 大崩山火山深成複合岩体火成岩類の全岩主化学組成ー分析データ271個の総括.高橋正樹・東野公則・金丸龍夫(2014).No.49, 173-195 |
| (38) | Subsurface structure of Miocene large-scale caldera cluster: Illustrated descriptions of geology of the Okueyama volcano-plutonic complex, Southwest Japan. Masaki TAKAHASHI(2014).No.49, 197-230 |
| (39) | 愛鷹火山噴出物の全岩化学組成―分析データ221個の総括―.高橋正樹・西 直人・三島裕久・金丸龍夫(2015).No.50, 149-208 |
| (40) | 小御岳火山噴出物の全岩化学組成.高橋正樹・須合辰也・金丸龍夫(2015).No.50, 209-254 |
| (41) | 那須茶臼岳火山噴出物の全岩主化学組成―分析データ114個の総括―.高橋正樹*・中島洋一・安井真也・金丸龍夫・南雲 旭(2016).No.51,129-177 |
| (42) | 榛名火山噴出物の全岩化学組成―分析データ235個の総括―.高橋正樹*・渡辺由美子・関 慎一郎・金丸龍夫・竹本弘幸(2016).No.51,179-219 |
| (43) | 草津白根火山の南東麓で見出された埋没岩屑なだれ堆積物.安井真也・高橋正樹・河田倫明・金丸龍夫(2016).No.51,221-230 |
| (44) | 日光火山日光溶岩ドーム群の全岩主化学組成―分析データ205個の総括.高橋正樹・関根英正・矢島有紀子・金丸龍夫(2017).No.52,135-179 |
| (45) | 浅間黒斑・仙人火山大規模山体崩壊堆積物に含まれる火山岩塊の全岩主化学組成―分析データ148個の総括と火山岩塊の起源についてー.高橋正樹・菊池雅之・折戸功一・安井真也・金丸龍夫・竹本弘幸(2018).No.53,51-75 |
| (46) | 子持火山放射状岩脈群の全岩化学組成―岩脈102枚の分析データの総括―.高橋正樹・久保誠二・高杉直彰・河野 保・安井真也・金丸龍夫(2018).No.53,77-96 |
| (47) | 浅間前掛火山テフラ・トレンチ調査により得られた降下軽石の全岩主化学組成―浅間前掛火山における最近1万年間のマグマ主化学組成の時間変化.高橋正樹・安井真也・金丸龍夫・山下大輔(2019).No.54, 143-172 |
| (48) | 浅間火山火車岩屑なだれ堆積物の再発見―浅間家畜育成牧場と周辺地域の火山地質―.安井真也・高橋正樹・金丸龍夫(2019).No.54, 123-142 |
| (49) | 浅間前掛火山高分解能テフラ層序学のための降下テフラ・トレンチ掘削プロジェクト2016~2018年度成果報告―地質記載・14C年代・軽石全岩化学組成―.高橋正樹・安井真也・金丸龍夫 (2020).No.55, 93-153 |
| (50) | 金峰山花崗岩体の地質と貫入定置メカニズム.高橋正樹・二平 聡・金丸龍夫(2021).No.56 (印刷中) |
VI.数字で見る研究史(意味があるかどうかは不明)
論文等:164;著書等:44;学会講演:262;非常勤講師:29;海外学術調査:4
VII. 地球科学科50年史
2011年に日本大学文理学部地球科学科は創立50周年を迎えた。学科50年史編集委員会の委員長を仰せつかり、2015年に「日本大学文理学部応用地学科・地球システム科学科50年史」を出版出来た。最後にその巻頭言を,再録させて頂く。本学科はこれまでに多くの人材を社会に送り出し、社会的に大きな役割を果たしてきた。学科の50年を(1) 黎明の時代(1960年代前半)、(2) 疾風怒濤の時代(1960年代後半~1970年代前半)、(3) 発展の時代(1970年代後半と1980年代)、(4) 躍進の時代(1990年代)、(5) 危機と停滞の時代(2000年代以降)に分けてみた。ユニークな地球科学科が、今後とも設立の理念を守り活かしながら発展し、100周年を迎えられることを心から祈っている。
日本大学文理学部応用地学科・地球システム科学科の50年史―ユニークな私大地球科学系学科のたどった半世紀とその将来
高橋正樹(学科50年史編集委員長)
1. はじめに
地球科学系の学科や専攻は,国立大学の理学系の学部・大学院には必ず設置されているものだが,私立大学ではその存在はほとんどみることができない.日本大学文理学部地球システム科学科は,そうした状況のなかできわめてユニークな存在といえるだろう.日本大学文理学部地球システム科学科は,応用地学科設置以来50年以上の風雪を耐えてきたが,その間社会に役立つ地球科学の教育研究を標榜しつつ,すでに2000名を超える多数の卒業生を世に送り出し,社会的に大きな貢献を果たしてきている.これまでに60名を超える多数の技術士が卒業生の中から生まれており,これは全国の地球科学系学科の中では有数の規模を誇る.関連業界の中でわが学科の卒業生はきわめて大きな役割を果たしてきており,このことは今後とも変わることはないだろう.ここでは,こうした輝かしい応用地学科・地球システム科学科の半世紀の歴史を1961年から現在まで簡単にたどり,その総括と将来への展望を試みる.
2. 応用地学科・黎明の時代(1960年代前半)
日本大学文理学部地球システム科学科は,戦後15年目の1961年に応用地学科として創立された.文理学部の理系学科では,東京オリンピックを控え高度経済成長期を迎えつつあった当時の社会的背景と要請を受けて,応用部門の設立が相次いで計画されていた.その過程で,応用数学科と応用物理学科が,それぞれ数学科および物理学科をベースに設立された.地理学科においても同様の計画がなされたが,応用地理学科というのは当時においても存在していなかったため,自然地理学をコアとして,当時の私立大学ではほとんどみられなかった地学科の設立に方向転換がなされ,応用地学科として出発することとなったという.私立大学における地学関係の学科は,その後現在に至るまできわめて希少な存在であり続けている.何れにしても,現在に至るまで生き続けて来ている「理学を基礎に社会の役に立つ地学教育研究をめざす」という本学科の設立の精神は,この時に確立されたものである.この時代の雰囲気は,堀内先生のインタビューで詳しく語られている.
この時代に赴任された専任教員としては,学科設立者の飯本信之(地理学;教授),石井清彦(地質学;教授),木下亀城(鉱物鉱床学・教授),武田通告(測量学・教授),堀 福太郎(岩石学・助教授・教授),堀内清司(水文学・専任講師;助教授・教授),木曽敏行(地質学;専任講師・助教授),斎藤光格(地理学;専任講師・助教授)などの諸先生方がおられる.
3. 応用地学科・疾風怒濤の時代(1960年代後半~1970年代前半)
日本の高度経済成長とともに順調に歩んできた応用地学科も,1960年代の末に大きな時代の波に飲み込まれることになる.大学紛争の勃発である.1960年安保闘争以来活発化していた学生運動も,1960年代末には新たな局面を迎えた.その発端となったのが,日大紛争である.ここで登場した全共闘(全学共闘委員会)運動は,これまでの学生運動とは質の異なる,多くの学生を巻き込んだ大きなエネルギーをもった運動であり,それは日本大学と東京大学から生まれたといっても過言ではない.日大全共闘と東大全共闘は大きな社会的注目を集め,これによって日大の名前は,わが国の現代史の中に深く刻み込まれた.日大紛争では校舎のバリケート封鎖や当局によるロックアウトなどが行われ,それに巻き込まれた一般学生や教員,そして設立後10年も立たない応用地学科にとっては,まさに疾風怒濤の苦難の時代となった.その中で,堀 福太郎先生は,文理学部次長としてこの難局に誠心誠意当たられた.このあたりの事情は,堀内先生のインタビューから伺い知ることができる.
4. 応用地学科・発展の時代(1970年代後半と1980年代)
大学紛争の時代を乗り越え,応用地学科もようやく順調な発展の時代を迎えた.1970年代には,第四紀学の遠藤邦彦先生,地質学の小川勇二郎先生など,大学院博士課程を終えたばかりの第一線の優秀な若手研究者が赴任し,本学科は学術的にも大きな発展を遂げることになる.小川先生は,その後九州大学,筑波大学(教授)へと転出されたが,遠藤先生はその後も学科の中心的な活躍をされることになる.また,1980年代に助手をされていた地球物理学の大志万直人氏は,現在京都大学教授で防災研究所の所長をされている.この時代の卒業生は社会的にも大活躍をされている.東京大学教授の辻 誠一郎氏(古環境学),地質コンサルタント最大手応用地質社長の成田 賢氏などはその代表格である.
1980年代には1983年三宅島火山,1986年伊豆大島火山,1989年東伊豆単成火山群などの火山噴火が相次いだ.このうち三宅島火山噴火や伊豆大島火山噴火では,遠藤邦彦先生を中心に,本学科の調査チームが大きな役割を果たしたことは特筆に値する.遠藤チームは詳細なテフラ調査をもとに最新の火山地質学の手法を取り入れて,当時のわが国の火山地質学としては先端的な成果を挙げ高い評価を受けた.この時の若手メンバーには,宮地直道教授(16回卒;故人),千葉達朗氏(15回卒副手;現アジア航測)などが含まれている.宮地直道氏はその後富士火山のテフラ研究を進め,その成果によって日本地質学会研究奨励賞を受賞しており,彼の富士火山の研究成果は現在でも高く評価されている.この時代の本学科の卒業生には,その後原子力学会論文賞を受賞した竹内真司氏(25回卒;現在本学科教授),日本岩鉱学会研究奨励賞・日本火山学会論文賞を受賞した安井真也氏(27回卒;現在本学科教授),そして岩の力学連合会論文賞・砥石加工学会論文賞を受賞した竹村貴人氏(30回卒;現在本学科教授)を始め,現在も学界や実業界の第一線で活躍されている方々が多数おられる.
この時期になると,1960年代にあった地質学,岩石鉱物鉱床学,水文学,応用地学などの教育研究領域に加えて,地球物理学,地球化学,第四紀学などの分野が加わるようになった.
この時期に赴任あるいは昇格された専任教員には,すでに触れた遠藤邦彦(第四紀学;助教授・教授),小川勇二郎(地質学;講師)などの方々以外に,力武常次(地球物理学;教授),立見辰夫(鉱床学;教授),佐々波清夫(測量学;助教授・教授),三宅輝海(鉱床学;教授),田場 穣(水文学;地理学科卒,助手・助教授・教授),佐藤キエ子(地球化学;地理学科卒,助手・助教授・教授),小坂和夫(地質学;講師・助教授・教授),竹内慶夫(鉱物学;教授)などがおられる.
5. 学科名称変更・大学院設置と躍進の時代(1990年代)
1970年代の経済成長の時代,1980年代のバブル経済の時代といった輝かしい昭和最後の時代が終わり1990年代に入ると,わが国の経済も新たな平成の時代の経済停滞期に入った.1980年代は経済も好調であり,団塊ジュニアとよばれた若年人口の多い世代の入学にも支えられて,わが国の私立大学の人気は高まり,入学偏差値も大幅に向上した.日本大学もその例にもれず,いわゆる日東駒専(日本大学・東洋大学・駒沢大学・専修大学)の筆頭として,その人気も大いに高まった.また,バブル経済期には就職状況もきわめて良好で,卒業生は引っ張りだこといった状態にあった.しかし,1990年代に入ると,その状況は一変し,若年人口の減少や就職氷河期といわれる長い停滞の時代に突入して,日本大学を含めわが国の私立大学の置かれた状況は徐々に悪化していった.この時期に赴任された専任教員には,萩原幸夫(地球物理学;教授),荒牧重雄(火山・岩石学;教授),丸茂文幸(鉱物学;教授),山川修治(気候気象学;教授),中山裕則(11回卒;リモートセンシング;助教授・教授)などがおられる.
応用地学科も設立以来30年以上がすぎ,その名称も時代の流れに合わなくなってきた.1990年代の中頃には,時代にあった新学科名称が模索され,応用地学科は地球システム科学科へと衣更えした.地球システム科学科の名称は,地球全体をひとつのシステムとして考えようというもので,地圏,水圏,気圏をトータルに捉えて教育研究を行うという,時代の最先端に敏感に反応したきわめて意欲的なものであった.新学科名称への変更には,萩原幸夫教授や遠藤邦彦教授がその中心的な役割を果たした.新学科への名称変更の効果は抜群で,志願者数の大幅増加,特に女子志願者の増加が著しく,入学偏差値も大きく上昇した.なお,この時期には,応用数学科は情報解析システム科学科へ,応用物理学科は物理生命システム科学科へと,同じく名称変更が行われた.
学科名称の変更とともに行われたのが大学院の設置である.それまで文理学部理系の学科には独自の大学院がなかった.大学院の設置も簡単に行くことではなく,各学科の積み上げによる大学院は認可されず,いくつかの学科を組み合わせた複合的なものにせざるを得なかった.設立を認可された大学院は,総合基礎科学研究科であり,地球システム科学科と数学科,情報解析システム科学科(元応用数学科)が一緒になって,地球情報数理科学専攻科博士前期・後期課程が設置されることになった.本格的に大学院が設置されたことは大きな前進であったが,理工学研究科に属する地理学科のように,学部学科,大学院専攻が積み上げになっているのと違って,学部と大学院の間に組織上の断絶ができたことは,その後も学科運営上の問題点となっている.ともあれ,こうして応用地学科は,「地球システム科学科」として,大学院も備えた万全な体制で,新たな学科として再出発することとなった
6. 大学の危機と停滞の時代(2000年代以降)
日本経済が失われた10年を過ぎ2000年代に入ると,わが国の大学は危機的な状況に置かれるようになり,その改革が社会の様々な階層から叫ばれるようになった.危機の大きな原因のひとつは,時代の要請にマッチしない旧態然とした大学の教育組織・運営体制であり,もうひとつは大学数の増加と18歳人口の減少による大学淘汰の始まりである.国立大学は独立行政法人化し,自助努力と経営努力を強いられようになり,私立大学は大学数の増加による激烈な志願者の奪い合いを強制されるようになった.地球システム科学科も例外ではなく,学科名称変更で一時的に増加した志願者数も,その後の長期低落化の傾向にいまだ歯止めがかかっていない.
こうした時代を背景に,2000年代に入ると,大学教育,特に大学における理系の技術者教育の向上と国際水準化をめざして日本技術者教育認定機構(JABEE)が設置され,各大学学部学科の教育が十分な水準に達しているかどうか審査し,達している場合にはこれに認可を与える組織が出発した.地球システム科学科はいちはやくこの審査を受けることになり,2003年にはわが国の地球科学系学科としては初めて「地球・資源および関連分野」で認定されことになった.JABEEの審査は5年に一回行われるものであり,地球システム科学科はすでに2回の審査に合格しているが,これに費やされる学科のエネルギーには大変なものがあり,多くの矛盾も抱え,なんらかの改善が必要とされてきた.これを受けて,2012年度からは,それまで学科全体がJABEE審査の対象とされてきたものを, 3年次からの選択制のコースのみをJABEE対象とすることになった.これにより,JABEE本来の趣旨を徹底するとともに,学科の抱える様々な矛盾や問題点が少しでも解消されることをめざしている.
2000年代に赴任あるいは昇格された専任教員としては,吉井敏尅(地球物理学;教授),森 和紀(水圏環境科学;教授),高橋正樹(火山・岩石学;教授),宮地直道(環境・防災;助教授・教授),加藤央之(環境気象気候学;教授),山中 勝(環境地球化学;講師・准教授),安井真也(火山・岩石学;講師・准教授),竹村貴人(地質工学;講師・准教授)などの方々がおられる.このうち,吉井教授,宮地教授以外は現在も現役である.また,2010年代に入り,定年を迎えられた吉井教授の後任に鵜川元雄教授(地球物理学),2011年に急逝された宮地直道教授の後任に竹内真司准教授(環境地質学)が赴任された.さらに,2000年代後半に設置された専任講師並の助教としては,中尾有利子(33回卒;古生物学),金丸龍夫(岩石学),村瀬雅之(地球物理学),大八木英夫(本大学院博士課程2006年修了;水圏環境科学)などの諸氏がおられる.
7. 将来の展望:学科に未来はあるか
2000年代に顕在化した大学をめぐる大きな問題は,2010年代に入っても大きく変わることなく,むしろ深刻化の度を深めている.こうした状況の中で地球システム科学科も変革の努力を強いられている.2016年度からは,新たな諸状況に対応するために学科名称の変更が予定されている.名称変更の理由はいくつかあるが,受験生や高校,受験業界からの,システムという名称がわかりにくく,情報工学やシステム工学との誤解も生じやすいという指摘が最大の理由である.また,地球全体をシステムとして捉えるという理想は高邁であったが,実際には気圏,水圏,地圏の具体的な環境問題や自然災害問題に取り組む人材を育成するという実態とはややかけ離れた名称であったことも事実である.新名称は「地球科学科」である.これは,文理学部理系学科が,数学科,物理学科,化学科,生命科学系新学科(旧物理生命システム科学科),情報科学科(旧情報解析システム科学科)として整備されるのに伴い,よりシンプルでいわゆる「数学・物理・化学・生物・地学」という高校の理系科目と調和的でわかりやすい名称をめざすという学部全体の方針に合わせたものである.「地球科学科」というのはやや保守的な名称であるが,わかりにくいカタカナ名称の学科が避けられる傾向があるという最近の大学受験界のトレンドにも合致し,また原点に立ち戻るより堅実な名称でもあり,本学科の再出発にはむしろふさわしいものといえるかもしれない.
本学科では,2011年以降,こうした学科名称変更をめざして学科の教育研究体制の再編整備を行い,学科を地球環境科学教育研究部門と地震・火山学教育研究部門に区分し,前者には,気圏環境科学領域,水圏環境科学領域,地圏環境科学領域,環境リモートセンシング領域,後者には,地球物理学領域,火山・岩石学領域を設けた.また,教育体制整備の一環として,3年次からの教育プログラムを地球環境学教育プログラムと地球環境学総合教育プログラムに分けた(いわゆるコース制).このうちの前者がJABEEコースに相当する.
大学の置かれている厳しい現状の中で,わが学科が生き残っていくことは並大抵のことではないかもしれない.しかし,伝統ある本学科を発展させ,次の世代に手渡していくこと,そして学科設立100周年をめざすことは,私たち学科構成員に課せられた使命でもあるだろう.「学科に未来はあるか」ではなく,学科の未来を作るために日々努力しなければならないということである.
わが国の大学といっても一様ではない.国際的な研究大学として生き残っていけるのは,国立大学のなかでも旧帝大を中心とするわずかの大学しかないであろう.私立大学は国立大学とはまったく異なる原理から成り立っている.それは,ひとことでいえば「建学の精神」とよばれるものである.私学とは,いわば私塾のようなものである.志ある師が,志ある塾生を集めて運営する,それが本来の姿である.日本大学を設立した山田顕義は,幕末長州にあった萩の松下村塾の出身である.吉田松陰が情熱を傾けて作った松下村塾は,短期間に多くの逸材を育て上げた.松下村塾は,私学の理想の姿である.本学科の「建学の精神」は,ひとことでいえば「理学を基礎に社会の役にたつ人材を育成する地学(地球科学)教育研究をめざす」ということであり,このことは建学科以来変わることはない.この建学科の精神にもとづき,これからも社会を支える堅実で有為な人材をより多く育成し社会に送り出していくこと,これがわが学科のレゾンデートルである.大学である以上研究することは必須の条件ではあるが,それよりも何よりも,「より良い人材の教育と育成」こそが最優先の重要課題であることを,私たち教員は常に肝に銘じなければならない.
最近日本大学文理学部では「ホームカミングデイ」という日を設け,卒業生との絆を強める努力を行うようになっている.とりわけ私学では,卒業生と一体となった,卒業生の大きな支援のもとに進める大学運営というものが要請されるようになっているからである.本学科にはすでに「応地会」という長い伝統を持つ強力な同窓会組織が存在し,毎年会誌を発行するとともに,年会も開催するなど,きわめて活発な活動を行っている.学科としては,こうした「応地会」との絆と協力を,今後ともさらに深めるよう努めるべきであろう.また,卒業生各位においても,わが国において独自の地位を占めるユニークで伝統ある本学科の卒業生であることに心から誇りをもち,これからの50年のために,学科の存続と発展をめざして大きな御支援をいただけるよう切に願っている.

Department of Earth and Environmental Sciences, College of Humanities and Sciences, Nihon University
3-25-40, Sakurajosui, Setagaya-ku, Tokyo 156-8550 Japan